今ならやり直せる
今日は、二人で夕食をする約束をしている。

“結婚を前提”に付き合ってから、二人とも忙しく、なかなかスケジュールが合わなくて、会社近くでランチついでに落ち合ったり、会社帰りに映画を見に行ったりしただけで、一日中、ゆっくり過ごすことは難しかった。

華は、仕事を終えて、まだまだ寒さが続く冬の街に出て、いつものホテル横の銅像の前で待つ。

マフラーに顔をうずめて、両手をこすり合わせて剛君を待つ。

しばらくすると、少し小走りで剛君が近づいてくる。

「寒いーっ。華ちゃん、早く行こう!!」と手を引っ張る。

お店は相談済みで、最近出来たラーメン屋さんに行くことになっていた。

一ヶ月ほど前にオープンしたのだが、一度を食べようとランチの時間に二人で行ったのだが、あまりの列の長さに昼休みの時間が終わってしまうと思って諦めた。

そこへリベンジにやってきた。

オープン時の混雑は一段落し、少し並んでいるが今日はありつけそうだ。

十分ほどで順番が回ってきて、二人は横並びにカウンター席に座り看板メニューの札幌ラーメンをすする。

食べながら剛は

「このあと、どうする? 映画でも見に行く?」と聞く。

「うちに来ない?」

それを聞いて、剛はラーメンを吹き出す。

「いいの? ホントにいいの?」驚いた顔をしている。

「うん。家に男の人いれるの、剛君が初めて」という華に向かって

「いや違う。そんなはずない」と真剣な顔で言っている。

「本当だよ。どうして?」

人差し指をたてて、探偵が推理するようなポーズをしながら

「あいつだよ。緑の顔した……ほら……サボテン野郎」

今度は華が吹き出した。


ラーメン店を出て、手を繋いで歩く。

「あー、楽しみだな。華ちゃんち」

「何もないよ。狭いし」

「狭いの、大歓迎。華ちゃんに接近できるし」

華は笑いながら、剛君といると本当に楽しいと心から思う。


部屋に入ると玄関には一輪挿しに花が飾ってある。

部屋の中は荷物が少なくシンプルだが、所々に観葉植物が配置され、温かい雰囲気でまとめられている。

ベランダの手前には小さなサンルームがあり、そこには所狭しと色とりどりの鉢植えが置いてある。

剛は感心した顔で眺めながら

「小さな植物園だね」と華に言う。

「この小さなサンルームを見て、この部屋に決めたの。温かいから植物が育てやすいのよ」と嬉しそうに笑う。

「へぇー」と言いながら部屋を見回している。

「あんまり見ないで」と華。

コーヒーを煎れながら、背後にいる剛に言うが、剛は興味深そうに本棚を眺めている。

「華ちゃん、こんな本も読むんだ」と取り出してパラパラとめくる。

「あ、それはお客さんから花束を頼まれたときに、色合いも考えた方が綺麗かなと思って」

剛が手に持っている本は“カラーコーディネイト入門”だった。

「どんな花束を頼まれるの?」

コーヒーが入ったカップを両手に持ってテーブルに置きながら

「色々だよ。友人のお見舞いとか、誕生日とか、彼女へのプロポーズとか」

「えー、責任重大だね」と目を丸くする。

ローテーブルを挟んで二人は座り、コーヒーを飲む。

冬の風が窓に当たり、緊張した空気の中、カタカタと音を鳴らしている。

「……剛君」と華が沈黙を破る。

「はい」と剛が姿勢を正す。

「今日、泊まっていかない?」

コーヒーカップをテーブルに置いて、正座し

「はい。もちろん、喜んで」

その姿を見て、華は吹き出した。

「明日、休みって言ってたよね。私も土曜日で休みだし」

大胆な事を言ってしまったと少し焦って、軽い口調で華は続ける。

「お風呂入れてくるね」

剛は、華の後ろ姿を眺めながら自分の頬をつねる。

「夢じゃないな……」

お風呂を入れて戻ってきた華に剛は

「華ちゃん、ここに座って」と自分の横をポンポンと叩く。

華は黙って剛の横に座った。

二人の顔は近づき、キスをする。

それは優しくて温かく、どちらかが受け身でもなく、主導権を握っているのではない、気持ちがぴったりとあったキスだった。

剛は、華の手を取り、側にあるベッドの上まで連れて行く。

「剛君、お風呂は?」と華は聞くが、それはもうどうでもよい質問だった。

「あとでいい」と耳元で剛の声が聞こえ、二人はそのままベッドに倒れ込み、初めて抱き合った。


あれから、どのくらいの時間が経ったのだろう。

剛は、携帯に手を伸ばして時間を見ると、夜の十一時だった。

初めて華ちゃんと抱き合って、その後、それぞれお風呂に入りベッドに戻ってから、また抱き合ったのだ。

こんなに女性を求めたのは、未だかつてなかった。

華ちゃんを好きになってから、身体も欲しいと思ったことは正直あるが、それは単なる体の欲求で、華ちゃんが望
んでいないなら求めないつもりでいた。

特に、再会してからの華ちゃんは、壊れそうで触れるのも怖かったくらいだ。

強く抱きしめると消えてなくなりそうで、俺のことを完全に信頼してくれるまでは触れないでおこうと決めていた。

それで充分幸せだったし、二人で笑える時間があるだけで満足だったから。

隣で華ちゃんは眠っている。こんな安心した顔を見ることが出来ただけで心がいっぱいになる。

思わず頬をそっと撫でる。

それに気付いて華は目を開けた。

「剛君……」

剛は華に顔を近づけて

「やっぱり華ちゃんは運命の人だった」

華は剛の首に手を回し、優しくキスをした。


朝になり剛は部屋の明るさで目が覚めた。

台所から良い匂いがして、その方向を見ると華の後ろ姿が見えた。

思わず後ろから華に抱きつく。

「華、愛している」

包丁を持っている華は

「もー、危ない」と抵抗するが、剛の力は強くなるばかりだった。

「華も、俺のこと、呼び捨てにして」

華は剛の方を向いて

「剛」と言った。

「ほら、ご飯だから顔洗ってきて」と言われ、仕方なく

「はーい」と洗面所に向かった。

テーブルの上には日本の典型的な和食料理が並んでいる。

それを見て剛は

「俺、今日死ぬのかな?」

おみそ汁をお椀に入れながら

「何言っているの?」と華。

「だってさ、幸せすぎるからさ」

小さく微笑み、華は

「それだったら、私も今日、死ぬわよ」

緩い冬の光がサンルームを照らしていた。


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