最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~
天上の歌



フェルナードは怒りが赴くままに剣を振るっていた。

対峙する兵達の顔は見えないが、その服装で味方か敵か判断は出来る。落ちた松明の灯りを頼りに、押し寄せてくる西の国の兵達を死なない程度に斬り倒していった。
敵か味方かの判断はつくが、これではイザベラの所在が掴めない――。
それがフェルナードを焦燥に駆らせる理由だった。


(迂闊だった)

前々からステラ嬢には気をつけるようにと口にしてきたが、まさかイザベラを山賊に売り飛ばすとは。
挙句、救出する前に西の国のエンデルに掠め取られ、捕虜にされてしまったなどど――フェルナードが想って想ってやまない、イザベラをである。
恋うて乞うて、やっと手元にきてくれたのに。

感情は表にひとつも出ていないが、イザベラを奪われたその殺気たるや背後のミカエルでさえ呆れるものである。

「王子、獣じみておりますな。少し抑えなければおひい様に怖がられますぞ」

忠告した傍から敵を乱暴に斬り捨てて、肩越しにぎろりと睨みつけてきた。そんなフェルナードに、ミカエルは何度目かわからない溜め息を吐く。
その端で、ジェフとラフが剣を振るいながら、王子久々に切れてるなーと暢気に笑っている。



約二年前、かのアステート公国から彼が単身訪れ、イザベラと婚姻を結びたいと言い出したときはエルゴル王と共に仰天したものである。
イザベラがアステートから帰ってきてから歌えなくなったことは、親しい者の誰もが知ることだ。そんなアステートから訪れ、訝しげな王を前に頭まで下げてイザベラを乞うとはどういう了見だ、と一時期城では大騒ぎになった。当然、緘口令が布かれイザベラの知るところではなかったのだが。

話を聞けば、慰問の際に聴いたイザベラの歌声に魅せられたのだという。まだ若くあった彼がそう真摯に語る様は嘘を吐いているようには思えなかったが、なにせ相手は大国の王位継承者である。なにか裏があるのではと考えたエルゴル王とミカエルを前に、フェルナードは更に言い募った。
どうしてもあの歌声が忘れられず、何度か一般市民の振りをしてエルゴルに入国していたこと。
その際、街を闊歩するイザベラを偶然発見し、ずっと見つめていたこと。
そのうち歌が唄えなくなっていることに気付いたが、それでもイザベラが欲しいと想ったことなどなど――。
前述の〝何度か〟か、や〝ずっと〟、には相当な数が当てはまる。

のちに炭鉱夫たちから聞いた話によると、少し前から変な男がイザベラをじっと監視していたという。とはいえその頻度はかなりのもので、最初は警戒していたがイザベラに接触する気配はないし、イザベラが何か危ないことをやろうとした際には助けに入るか手を貸すかと不審な動きをしていること、何よりひたすら熱っぽい視線でイザベラを見つめているだけなので、まあ害はないだろうと判断し、一応炭鉱夫と妻達で監視することで放置していたという。

あまりにしょっちゅういるもんだから、無職の暇人かと思っていた――とは、ある炭鉱夫の妻の言だ。

つまりイザベラを見初めてからずっと、忙しい執務や軍務の合間を縫って隣のアステートからエルゴルまでひたすら行き来し、イザベラを文字通り見つめていたということである。
フェルナードの熱意はわかったが、そもそも国力に差がありすぎる。そのため、イザベラが納得してフェルナードに嫁いだとしても、周囲は納得しないだろうという旨を恋する青年を傷つけないように伝えたのだが、フェルナードは諦めなかった。策があると言って、その準備に丸々二年かけてお膳立てをした。

(それがよもや、我が国を裏切り者に仕立て、どうあってもおひい様を手に入れる策だったとは)

気付いたときには遅かった。
決して馬鹿ではないエルゴルの王をうまく煽てた西の国の商人はフェルナードの息がかかったスパイで、気付いたときにはエルゴルはアステートを裏切ったのだという状況が成り立っていたのである。
ひたすら想っているイザベラの父親と母国に対してのこの仕打ちである。そしてそんな仕打ちをしておきながら、裏切りの対価としてイザベラを所望したのだ。
さすがアステートの軍神というべきか、出来としては素晴らしい計画である。
必ずイザベラを手に入れられるようにと練られた策だ。
両国間の国力を考えれば、償いという形で娶るのが周囲を納得させやすいだろうし、この状況ではエルゴル王も嫁入りを断ることができない。

とんだ策士である。
憔悴しきったエルゴル王に、フェルナードは深く頭を下げた。
その頃には彼は声を失っていたので、その礼がイザベラは貰い受ける、ということなのか、エルゴルを裏切り者に仕立て上げた事へ対する謝罪なのかは未だにはっきりしない。

エルゴル王も最後には、下手な男に嫁がせるよりは、ちょっと異常だけど娘を心底愛して欲しているらしい王子に
くれたほうがイザベラも幸せになれるかもとの親心から首を縦に振った。
長く仕えてきた王のその姿、おいたわしいことこの上なかった。

とはいえ、イザベラはミカエルにとっても娘のようなものである。何を隠そう、イザベラに一番最初に歌を唄って聞かせたのは自分だと密かに自負している。
ミカエルはエルゴル王のようには納得はしなかった。あくまでフェルナードのお手並み拝見である。
エルゴルの使者として立ったのも、己の目でイザベラとフェルナードを見極めるためだ。
イザベラがフェルナードに惹かれていなければ、不遇な環境に置かれていれば、即刻エルゴルに連れ帰るつもりであった。

道中いろいろあり計画通りには行かなかったが、ミカエルのかわいいおひい様はこの王子に惹かれているらしい。腹心の部下であったベルをイザベラの傍に置いていたことも評価する。彼女は愛想はないが腕は確かである。
多少の不安要素はあったが――その不安要素のひとつが、このような事態を招いてしまったのだが――イザベラは概ね幸せそうであった。

そしてそんな最中、山賊討伐に出かける直前にベルからイザベラが山賊に浚われたと報告が入った。
沸騰するかのごとく怒ったミカエルだったが、フェルナードのあまりの怒りように逆に冷静になってしまって冒頭に戻る。


「ステラ嬢は見当たりませんね」
「どこかの天幕にいるでしょうけど」

双子が敵を薙ぎ倒しながらフェルナードに話しかけている。彼らはステラ嬢担当だ。
フェルナードが双子を見て、ぱくぱくと唇を動かした。目が闇に慣れてきて、この距離ならなんとかお互いの顔が判別できる。

「いやいや王子駄目ですよー。いくらなんでもこの乱闘に乗じて殺しておけとか怖すぎるでしょー」

フェルナードの唇の動きを正確に読み取った双子が、肩を竦めている。

「それにそんなことしたら悲しむと思いますよ、イザベラ姫は」

そういう御人だもんなあ、と双子はあくまで暢気である。
フェルナードもイザベラの人柄を思い出したのか、納得したようにまた前を向いた。

西の国のこの駐屯地は、実際はアステートの国内になる。
国境からじわじわと進入してきて、こんな場所に腰を落ち着けたのだ。
あちらの陣営にやる気が認められず、最近は本当に小競り合い程度の戦いしかなかったが、もしかしたらこの騒ぎで決着がつくかもしれない。フェルナードもそれを見越して、人質救出とは思えない人員を割いている。

そんなフェルナードが、斬り付けた敵を蹴り倒してすぐ、ぴたりと動きを止めた。
まるで野生動物のように顔を上げ、何かを聞き取ろうと耳を澄ましている。
鬼神の如く剣を振るっていたフェルナードが動きを止めたことで、西の国の兵達が一斉にこちらへと向かってきた。

「王子!」

ミカエルと双子が慌ててフェルナードを囲み、その身を守る。

「王子!なにやってんですか!」

責めてくる敵を倒しながら、ジェフが叫ぶ。広々とした遮るものがなにもない場所での貴人を守りながらの戦闘は、この上なく不利である。
しかしそれでも、フェルナードはじっと耳を澄ませたまま、なにかを探るように辺りを見渡している。

「ちょっと王子、ほんとなにして――」

敵の剣を受けながらフェルナードに呼びかけたラフも、言葉を止めた。
様子のおかしい二人に、西の国も戸惑うように動きを鈍くする。
そしてそれは、ある一定方向から顕著になっていった。

まるで石を投じた湖に、ゆっくりと波紋が広がるように。





歌が聴こえる――。

誰のものものとも知れない声がした。
周囲が動きを止め、声を潜め、音がなくなると、その歌声ははっきりと届くようになる。

歌。まるで唄っている者の姿を想像することができないような、不思議な歌だった。


「おひい様……」

ミカエルが、震える声でその名を呼ぶ。

柔らかなシルクを思わせるような声は、震えながら人々の柔らかい部分に容赦なく入り込み、その動きを止めた。
風も吹かない。鳥も虫も鳴かない。
剣がぶつかりあう音も、怒号も、悲鳴もすべて飲み込んで、どこか悲しく胸を打つ旋律だけが、戦場を支配していた。

この歌は、フェルナードと兵士達に向けられた歌だ。
敵も味方も関係ない、すべてに向けて歌われている。
この場の状況も忘れて聴き惚れる者もいれば、静かに涙を流す者がいる。

イザベラの歌はそういうものだ。

上手い下手の評価の前に、否が応にも人々を聴き入らせてしまう。
イザベラの歌はこの世にあっていいものなのか、ミカエルはずっと疑問に思ってきた。
勿論、鼻歌のように気軽に歌えばさして人々に影響はないが、一度イザベラが本気で唄いだすと、周りの一切のものが停止してしまう事態になる。

天使の歌と賞賛する者もいれば、裏で悪魔の歌だと囁く者もいた。
それほどにイザベラの歌の影響力は凄まじかったのである。

そしてイザベラが歌を失ったとき、ミカエルはやはり、と納得もしたのだ。人々の心をこんな形で掴んでしまうものが、欲深い人間の中にあっていいわけがなかったのだと。
いつその天上の歌でイザベラが不幸になってしまうかと、ミカエルは恐れていた。
しかし、こうして歌が再びイザベラを訪れたことを、喜べないはずがない。

イザベラは歌が上手な姫だ。
そしてイザベラは、歌姫である前に、ただ唄うことが大好きな女の子なのである。
歌を唄えなくなって一番苦しんだのは、当然イザベラだった。そしてそんなイザベラを見ていたミカエルも、ただただ辛かったのである。


そのイザベラの歌を辿るように、フェルナードがふらふらと動き出した。
剣は下ろされ、どこか呆然として、今襲われればいかにフェルナードといえどひとたまりもないだろう。
だが、誰もそんな真似はしなかった。

途切れることなく流れていく歌を、皆が皆、全身で聴いていた。
そしてその中で、フェルナードこそが最もこの歌を望んでいた者になるだろう。

まるで夢の中を歩いているようだった。
いまここで殺されるなら本望だとすら思った。
イザベラの歌の中で死ねるなら、どれだけ幸せだろうかと。
けれど、その想いに反して、ただただイザベラを抱きしめたいとも思う。

歌を唄うのは怖かっただろう。
あの丘の上で、必死になって練習していたのを知っている。


やはり夢か、と思った。

乞うて乞うて乞うて、ずっと聴きたかった歌を、今聴くことができている。

己のせいで失った歌を、フェルナードは今再び、聴いている。





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