最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~






「そ、そうだわ。イザベラ様は、歌がとてもお上手だとか。お聴かせくださいませんこと?」

茶会の凍りきった空気を変えようとした一人の令嬢が、名案だと言わんばかりに声を上げた。
イザベラにとっては、大変有難迷惑な提案である。

それまで多少はあった余裕が跡形もなく消えた。

「……いえ、あの」

うまい言い訳も思いつかない。
ぐるぐるとフェルナードの無表情が思い出される。

「それはもう素敵な歌声だとか。天使の歌声と賞されていたのでしょう」

無邪気にぐいぐいとイザベラの心を抉ってくる。まだ先ほどの可愛い嫌味のほうがよかった。

「えーと」

歌えない。
歌えるわけがない。

偶然とはいえフェルナードに聴かれ、大事な舞踏会での歌披露を中止にさせるほどひどい歌声など、彼女達に聴かせられるわけがない。

「父上に聞きましたわ。舞踏会でのイザベラ様のお歌、中止になってしまったそうですわね」
「残念ですわ、楽しみにしていましたのに」

わざとか?と言いたくなるほどぐいぐいくる。
恐らく、フェルナード王子の妻の座を仕留めた歌声はいかほどのものか、ということだろう。
イザベラは顔も体つきも冴えないし、この容姿からまさか天使の歌声とやらが飛び出すわけがないと思われているのかもしれない。ここで歌わせて、とんだ期待はずれだと笑うつもりなのだろう。

実際は、歌うことすら儘ならない、彼女達が思う以下の歌姫なのだが。





「イザベラ姫」

進退窮まったイザベラを救ったのは、なんとサムエルであった。
年若い女達の茶会に涼しい顔で割り込んで、慇懃無礼に礼を済ませる。

「ご令嬢方、お楽しみのところ申し訳ございません。フェルナード王子が姫をお呼びです」

言いながら、ちらりとサロンの入り口のほうへと視線をやる。

釣られるようにそちらを見た令嬢から悲鳴が上がった。イザベラも可能なら悲鳴を上げたかったが、唾を飲み込んで我慢した。

果たしてそこには、フェルナードが立っていた。
今日も首をすっぽりと覆う詰襟の軍服を着こなし、柱に頭と肩を預け、腕を組んでこちらを見ている。

目が合った。
あの美しい瞳が、珍しくじっとイザベラを見ていた。
フェルナードの出現にそわそわしだしたご令嬢には目もくれず、サムエルはイザベラに目配せすると先導するように歩き出す。

その背中を慌てて追いながらも、イザベラはフェルナードから視線を外せないでいた。

今更呼び出すとは何事だろう。
しかも茶会の最中に。

(……あまりにも酷い歌だったから、国に追い返されてしまうのかしら)

国に帰れるのは素直に嬉しいが、取引はどうなるのだろう。

銅と鉄の取引量を増やすことでなんとか手打ちにできないだろうか。
できれば一度自由になった父王の身柄を再び拘束するのはやめてほしい。発掘の一切を取り仕切る父王の不在は、アルゴルにとって大きな損害となる。

実際、フェルナードとイザベラの政略結婚が成立する前――アステートに父王が拘束されていた期間は決して長くはなかったが、その間、アルゴルの産業は停滞した。
鉱夫から技術者としても認められている父王なくては、アルゴルの繁栄はない。

(どうしよう、やはりこの結婚はなかったことにと言われたら――)

そしてイザベラの胸には、言い知れぬ寂しさもあった。




「イザベラ姫」

サムエルに呼ばれ、はっと顔を上げる。
いつの間にか目の前にはフェルナードが立っており、かすかにハーブのような香りが香る。
ここまで近づいたのは初めてかもしれない。

「フェルナード王子からお話があるそうです。ご令嬢方はわたくしが引き受けますので、姫はどうぞ王子と庭でも散策してきてください」

言われてさっさと二人きりにされてしまった。
自分が麗しいご令嬢方の相手をしたくて仕方がないように思える。が、賢明にもイザベラは口を噤んだ。

無言のままフェルナードが歩き始める。脚の長さが違うので、あっという間に遠くにいってしまった。
白亜の回廊を、フェルナードの鍛えられた背中を目指して小走りで追いかけていく。

吹き抜けになった回廊の両端は美しい庭になっており、美しい花々が誇っていた。
そのなかでも浮き立つ、まっすぐ伸びた硬質の背中。

まるで一幅の絵のようだ。

(こんなことが前にもあったな……)

あの時は、堅牢な軍事棟の廊下だった。
フェルナードの背中は今より少し華奢で、背も低かった気がする。

(そうだわ、あの時からこの人は変わっていない――)

初めて訪れた軍事棟で、イザベラは当時から軍を率いていたフェルナードに引き合わされたのだ。
そして今と同じように言葉なく対応され、冷ややかな瞳を向けられた。
どこに行っても歓迎されてばかりいたイザベラにとって、初めての体験だった。

人にそのような眼差しを向けられたことのなかったイザベラは途端に萎縮し、彼の美しさに慄いたのを覚えている。

(天使のようだったのはむしろ彼のほうだわ)

無言のまま鍛錬場へと連れて行かれ、無言のまま歌うように促された。
そして歌ったはいいが、そこでイザベラは惨敗したのである。

(……そうだわ)

王子は知っていたはずだ。
イザベラが天使の歌声などしていないことを。

だって実際に、聴いたことがあるのだから――。

見れば、フェルナードは随分と遠くを歩いている。
イザベラは慌てて歩くスピードを上げた。



「王子、フェルナード王子」

脚にまとわりつくドレスをなんとか捌きながら、待ってほしいと声をかける。
そこでようやくイザベラとの距離に気付いたフェルナードが、唐突に足を止めた。

「あっ」

突如振り返ったフェルナードの胸に、イザベラは小走りの勢いのまま激突した。
先ほど薄く香った香りが一層強くなって、イザベラを包み込む。

(チョークの匂いがする――)

鼻がむずむずするようなこの特徴的な香りは間違いない。

(何故、彼からチョークが)

考えようとしたが、額にフェルナードの息がかかり霧散した。

ごわついた軍服越しに触れ合った体温に、イザベラの心臓は跳ね上がる。
鉱夫たちと比べればとても細い体だと思っていたが、イザベラを受け止めた腕はびくともせず、力強い。

「ご、ごめんなさ……」

い、と続ける前に、勢いよく体を引き離された。
両肩を痛いくらいに掴まれている。

ちかい。

明るい緑が陽光に弾けて、金色の粒子が見える。


「え」

きれいだな、と思った時には、フェルナードはイザベラの前から颯爽と姿を消した。

先程より速い歩調で、あっという間に城の中へと消えてしまう。
取り残されたイザベラは、ぽつりと回廊に立ち尽くした。
暫く待ってみたが、フェルナードが戻ってくる様子はない。

(まただわ……)

何度これを繰り返せばいいのだろうか。

目が合った瞬間、フェルナードの喉仏が動いて、唇が震えた。

(なにか話してくれるかと思ったのに……)

イザベラは、まだ一度もフェルナードの声を聞いたことがない。





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