青い瞳に願いを込めて
序章

その日イギリスの夜は静かだった。
空は曇っているのだろうか、月は見えない。
イギリスの首都であるロンドンの街の光でさえその息を潜め、シンボルの時計塔も威厳をもってただただ建っているだけである。
あと1分、あと30秒、10秒、5、4、3、2、1…
ボーン…ボーン…
今までの静寂を破るように時計塔が音を発した。
真夜中を知らせる時報である。
だが既に夢の中に引き込まれている人々が気づくことはない。
昼間なら誰もが気がつくはずであろう合図。
それは12回ほどの時を知らせ、また深い闇夜に吸い込まれていった。



それと同時刻。
首都から遠く離れた田舎の街は、ロンドンと打って変わって騒がしかった。
「火事だ!早く逃げるんだ!」
「そっちは風の吹く方向だ!逆に逃げろ!」
「早くしないと街全体に燃え移るぞ!」
怒号と喧騒の中を逃げまどう人々。
彼らは火の手から逃れていた。
火元は家族4人が住む小さな家。
燃え盛る家の前に座り込む一人の少女の姿だけが彼女ただ一人の生存者であることを物語っていた。
腰が抜けてしまったのだろうか。
少女は黙ったまま、今にも炎に熱せられ倒壊しそうな家を眺めている。
「君!何してるんだい!?危ないじゃないか!」
咄嗟に少女の肩を引き、火の手から遠ざけたのは消火活動を行っていた消防隊員の一人だった。
彼の一喝が響いたのか、少女ははっとしたように我に返ると、既に火だるまとなった家へと目を向け、立ち上がる。
「そっちに行ってはだめだ!」
あわてて止める消防隊員。
「お父さん…お母さん…だめよ…皆…まだ…」
玉のような大粒の涙を流し、泣き始めた少女に消防隊員は言葉を失った。
なんと言えばよいのかわからなかったからだ。
彼らはもう助からないと―――
そんなことまだ年端もいかない彼女に言えるはずがなかった。
「大丈夫…大丈夫だから…」
泣きじゃくる少女を抱きしめ、悲しい嘘を重ね続けた。



気がつくと少女は眠っていた。
気を失ったと言った方が正しいのかも知れない。
消防隊員は少女を抱き上げ、少し離れた火の気のない林へと寝かせた。
もうすぐ救急隊員も来るだろう。
彼女の顔を眺め、一人ため息をつく。
彼女は一人厳しい世の中をこれから生きていかなければならない。
貴族や商人、一部の人間達が私腹を肥やし、貧乏人はずっと貧乏のまま。
そんな悲しい世の中を。
暗かった辺りが少しだけ明るくなったような気がした。
消防隊員は空を見上げた。
雲に隠れていた月が少しだけ顔をだし、通り抜ける風が眠る彼女の髪を揺らす。
その時、風の音に紛れて遠くから誰かを呼ぶような声が聞こえてきた。
どうやら救急隊員が生存者の救助に駆けつけたようだ。
消防隊員はそれを確認すると同時に、寝ている少女をもう一度抱きあげる。
「おーい、こっちだ!」
火災現場の近くを右往左往している救急隊員に声をかけ、少女を彼らに託した。
少女は清潔に保たれた担架に丁寧に乗せ、救急隊員に運ばれていく。
その姿を見送ると、消防隊員は大きなあくびをした。
彼もまた、深い眠りから引きずり出された者のひとりである。 
本来ならばもうとっくに寝てる時間だ。
「まったく、今日は疲れた…いや、昨日か。」
やれやれと言いたげな様子で消防隊員はため息をつく。
時はもう真夜中を回り、日付は変わってしまっていた。
「今夜は見えないかと思ったが…満天の星空じゃないか」
澄み切った空気を大きく吸い込み、消防隊員が見上げるその先には瞬く無数の星。
キラキラと輝くその姿はまるでダイヤモンドの原石のような神秘性を秘めていた。
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