寿聖宮夢遊録
 雲英は、ここで言葉を切りました。そして、筆を置いた金進士と顔を見合わせて頷きあいました。
「これから先は、進士さまがお話下さい。」
 雲英がこう促すと、今度は金青年が口を開ました。

 雲英が自決すると、宮中の者たちは皆、自分の父母を失ったように嘆き悲しみました。哭声は宮外まで響き渡り、これを聞いた私は気絶してしまいました。家の者たちは、私の息の根が止まってしまったものと思って、相応の手配を始めた時、意識を取り戻しました。既に日は西に傾いていました。私は自分の死が迫っていることを悟りました。
 私は、雲英の望み通りに法要を行い、彼女の魂を慰めてやることにしました。しまっておいた彼女の腕輪と鏡、そして手元にあった文房具を売って四十石の米を入手しました。これを使って、清寧寺にて法要をしようと思いましたが、頼める者がいませんでした。仕方なく、特を呼びました。
「これまでのお前の罪は、全て許してやろう。これからは心を入れ替えて働くのたぞ。」
 こう言い渡すと彼は涙を流しながら、
「私は、たとえ愚かな身ではありますが、木石ではありません。私の犯した罪は数えることも出来ないほどであるにも拘らず許して頂けるのは、枯木に芽が吹き、白骨に肉が付くように有り難いことです。この御恩に報いるためには、死さえも恐れません。」
と言って平伏しました。
「では、さっそく清寧寺へ行き、雲英のための法要を行なうようにしてもらいたい。」
「かしこまりました。」
 殊勝に応えた特は、そのまま寺へと向かいました。
 寺に着いた特は、初めの三日間は何もせず、ただ寝ていました。
 四日目の朝、彼は僧を呼び
「四十石もある米を全て仏にやることもないだろう。俗人のために使っても罰(ばち)は当るまい。」
と言って、酒肴を用意させました。そして村人たちを集め酒盛りを始めました。この時、ちょうど村の女が参拝に来ていたのですが、特はその女を無理遣り部屋に連れ込んでしまいました。特は十数日の間、このように過ごしたため、寺の僧も腹に据えてかねてしまいました。
「あなたは法要に来たのでしょう。いつまでもこんなことをしていないで、身体を清めて本堂に行きなさい。」
 こう言われた特は、しぶしぶ川にいき、身体を洗い清めた後、本堂に行って仏像の前に平伏しました。
「進士の奴を今日にも死ぬようにして下さい。そして明日にも雲英を生き返らせて俺のものにして下さい。」
 彼が三日三晩掛けて祈ったのは、このことだけでした。
 しかし、帰って来て告げた彼の言葉は次のようなものでした。
「雲英さまは、きっと生きる道を得たのでしょう。法要を行なった夜に、私の夢に現われて繰り返し礼を言っていました。寺のお坊さんたちも同じ夢を見たそうです。」
 私は、この言葉を信じるほかありませんでした。
 この時、私は既に科挙受験を放棄していましたが、勉強をするためと称して、清寧寺に出掛けました。季節は初夏で暑くなり始めていたので両親もそのまま送り出してくれました。寺に着いたときに初めて特の行なったことを知りました。私は、腹が立って堪りませんでしたが、本人がいない以上どうすることも出来ませんでした。
 怒りを鎮めた私は、川に行き身体を洗い清めた後、仏像の前に平伏し、心から雲英の冥福を祈りました。そして、私たちを裏切り続けた特に対しては、相応の罰を受けるよう付け加えました。七日後、特は井戸に落ちて死んだそうです。
 家に戻った私は、斎戒沐浴し、新しい衣服を身につけ床に身を横たえ、四日の間食を断ち、そのまま二度と起き上がることはありませんでした。

 こうして全てを話し終えた金進士は、視線を雲英の方へ向けると、二人は再び涙を流し始めました。彼らの境遇に深く心打たれた柳泳は、慰めの言葉を掛けようと口を開きました。
「お二人は再会でき、特の奴にも天罰が下り、願いは全て叶ったのではありませんか。なのに何故そんなに悲しまれるのですか。人間世界に、もう一度生を受けなかったことですか。」
 柳青年の問いに進士は、静かに応えました。
「私たちは無念を抱いて死にましたが、冥府では私たちに罪の無いことを知っていたので、気の毒に思い、再び人間界に生まれるようにしてくれました。しかし、地界の楽は人間世界の楽とは比較になりません。まして天上世界の楽は言うまでもないことです。それゆえ、この世に生まれることなど考えてもいません。ただ、かつてあれほど賑わっていたこの寿聖宮も主人が亡くなると共に寂れてしまい、加えて壬辰・丁酉の二度の倭乱の戦火によって壮麗な建物や庭園も灰となってしまいました。往年のこの宮の有様を知る私たちにとって、栄枯盛衰は世のことわりと知りつつも、こうして目前で見るとやはり悲しくなってしまうのです。」
「もしかすると、お二人は天上の方ではないでしょうか?」
 柳青年は、先程から抱いていた疑念を口にしました。
「はい、おっしゃる通り、私たちは天界の仙人で玉皇上帝のお側に長く仕えておりました。ある日、上帝が私に玉園の果実を摘んでくるよう命じられました。私は多く摘んだので、その一部を雲英と共に食べてしまったのです。このことはすぐに発覚し、私たちは人間界に配流され、塵世の苦しみを味わうことになりました。しかし、今は許されて、又、上帝のもとに侍しています。今宵は、用事を済ませたついでに、ここに立ち寄り昔日を偲んでいたのです。」
 このように応えると進士は柳青年の手を握り
「私たちの思いは、たとえ海が枯れ、空が色褪せても消えることはないでしょう。今宵、あなたと逢えたのも何かの縁でしょう。」
と言った後、書き上げた冊子を手渡しながら
「この草稿をお手元に保管して頂き、長く伝えて頂ければ幸いです。
ただ、つまらぬ人間の目に触れ、物笑いの種にだけはならないようにして下さい。」
と懇願しました。 
 この後、杯に再度酒が注がれました。酒を口に運んだ進士は、すっかり酔いが廻ってしまい雲英に依り掛かると、詩を詠じました。続いて雲英もそれに応酬しました。彼らの詩を聞いていた柳泳の意識は次第に朦朧となっていきました。
 翌朝、鳥のさえずりによって起こされた柳青年は、ぼんやりとする頭を回らしながら周囲を見渡しました。人跡は一切ありませんでした。
― 夢だったのか。
 しかし、手元には金進士から渡された冊子が確かにありました。彼は、それを懐にしまうと家に戻りました。
 彼は、進士から言われた通り、冊子を大切に保管しました。そして、何度と無く、それを開いて読んで見ては、世の無常を感じるのでした。
 そののち、家を出た彼は、各地の名山を巡り歩き、遂にその姿を消してしまいました。そして、彼がどのようになったかを知る人は誰一人いませんでした。
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