【第一章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
馴染みのある年を重ねた深みのある声と、研究室の懐かしい古木の香りがダルドの耳と鼻を心地よくくすぐる。

「……ほ? もしや、ダルド殿ですかな?」

 笑みを浮かべたキュリオがそっと脇にずれると、かつての若い姿のまま変わらぬ人型聖獣のダルドが隣に並んだ。

「おおっ! お久しぶりですじゃダルド殿!!」

 <大魔導士>ガーラントはダルドがこの部屋を初めて訪れたときのように分厚い魔導書を両手いっぱいに抱え、積み重ねたそれらの間から顔をのぞかせた。

「うん。久しぶり、ガーラント」

 貴重な魔導書の数々をまるで放り投げるように机へと置き去りにしたガーラントは一目散に駆けてくる。

「……?」

 そしてしっかりと手を握り合ったふたりの……、特に白銀の青年の神秘的な容姿を食い入るように見つめているのはアレスだ。彼は人型聖獣を今まで目にしたことがなく、ましてや簡単にお目にかかれるような存在とも思っていなかったため、ダルドの頭に生えているそれは動物系の髪飾りだと思い込んでいる。

「僕は今日、魔導師の杖を創りに来たんだ。君の杖……痛みがあったら直すけど、問題ない?」

 キュリオまでとは言わないが、幾分か饒舌さを見せたダルドがいかにガーラントに心を許しているかがわかる。
それもそのはず、ダルドが持つ鍛冶屋(スィデラス)の魔導書はこの魔導師が集うこの研究室から贈られ、当時のダルドが解読不能な悠久の古代文字を教えたのも若かりし頃のガーラントだったからである。

「ここ数十年痛みなど全くありませぬぞっ! ダルド殿は相変わらず良い仕事をされる!」

「……数十年?」

 どうみても十代後半くらいにしか見えない白銀の彼に数十年という言葉を述べるのは難しいものがある。
友人にしては年が離れすぎているふたりの間柄は気になるが、再開に水を差さぬよう一歩下がってその光景を見つめていたアレスの独り言に気づいたキュリオが透き通るような笑顔で答えた。

「ふふっ、彼らもかれこれ八十年来の付き合いになるかな?」

「……は、八十年っ!? 
まさかそんなっ……! え……!? ダルド様もキュリオ様のようにお年を召されないのですかっ!?」

 アレスは短時間のうちに自分で立てた仮説を自身で否定しながらキュリオを見上げる。
しかし、その思考には少し謝りがある。キュリオとて年を取らないはずがなく、ただ……王たる者はその位に就いた瞬間から老いとは無縁の存在となり、そこから数百年もの間若い姿を保ち続けるのだ。

「アレスは人型聖獣の話を聞いたことはあるかい?」

「はい、言葉くらいは……」

 なぜ今そのようなことを聞くのだろう? と、アレスは静かに麗しい王の声に耳を傾ける。

「彼がその人型聖獣さ。私も五百年以上生きてきたが、本物に会ったのは彼が初めてだ」

キュリオとアレスがそんな話をしていると、ガーラントとの話がひと段落ついたダルドが振り返って答えた。

「……君、アレス?」

「えっ――……!?」

 隕石規模の衝撃を受けたアレスはキュリオの言葉に大声をあげてしまった。――が、かろうじて人型聖獣の青年の声を認識した彼は慌てて向き直る。 

「……は、はいっ!!
ガーラント先生のもとで修行させていただいております、<魔導師>のアレスと申しますっ!」

 深々と頭を下げた魔導師の少年を目にしたダルドは表情の読み取れぬ顔で静かに口を開いた。

「うん。さっきの見習いの剣士より……まだまし」

「さっきの見習いの剣士……?」

 顔をあげたアレスはダルドの言葉に小さく首を傾げ、その見習い剣士が誰であるかを詮索する前に、師である<大魔導師>ガーラントの声が聞こえた。

「ダルド殿は先にカイのところへ行かれたのですな?」

 ふたりの様子を見守っていたキュリオとガーラントは口元に笑みを浮かべながら小声で話す。

「あぁ。彼の未熟さをダルドはだいぶ嘆いていたよ。楽しみはこれからだと、わかってくれているとは思うのだけれどね」

 言葉のわりに心配しているような素振りを見せないのはダルドをよく知っているからこそだった。言葉少なく、人との付き合いをあまり得意としない彼だが、その瞳に宿る信念や誠実さは誰にも負けないほどに強い。

(ダルドの人を見る目はかなりのものだ。
職人はそれを持つ者の技量を図れるとは言ったものだが、彼こそ一流――……)

 この悠久には古代文字のそれとも異なる解読不能なものがいくつか存在しており、その文字で成っているもののひとつがダルドの持つ魔導書なのである。
自在に操るダルドへ文字のことを尋ねたことがあるが、ダルドが読めるわけではなく、自身の問いかけに魔導書が応えてくれるのだと彼は言う。生成の折、魔導書に向かって対話しているような場面をみかけるのがまさにそれだ。

(……いや、一流という表現では足りないな。天職というべきか)

皮肉にも人の持つ刃に恐怖を抱いていた人型聖獣が魔導書に見染められ、それを生成するにふさわしい人物として選ばれたのには、偶然ではなく深い理由があったのかもしれない。
 
 ダルドが誰よりも深く、武器の持つ恐ろしさと素晴らしさを知っているからこそ――。
未知の力を秘めている魔導書が彼を選んだのはきっと、ダルドが誤った使い方をしない、人が人を殺めるような悲しみを生まない……と見極めたからだろうとキュリオはそう思っている。

「ガーラントはまた少し老けた。でも元気そうでよかった」

「ダルド殿、それは杖と同じですぞ? 月日が経てば味が出るとはこのことっ! 儂はとっくに出尽くしておりますがな!」

「……それはいい事であってる?」

 少し考えて。まだまだ人間の冗談のような表現が苦手なダルドは頷く前に<大魔導師>の彼へ問う。
ダルド曰く、冗談が多い人間との対話は、自身の持つ魔導書とのそれよりもずっと難しいのだと言う。

「あぁ、良いものは年月が経過するほどに磨きがかかり、価値も上がるということさ」

 キュリオがフォローするようにふたりの傍へ立つと、長身の彼を見上げたダルドが理解したように頷きながら「ガーラントの表現はいつもわかりにくい」とぼやく。キュリオは苦笑しながらも、顔を合わせるたびに同じようなやりとりが繰り広げられるこの光景を見るのが好きだった。

「キュリオ王、アレスの杖いつでも創れる」

 カイの剣を生成中の魔導書はまだ輝きを放っているが、彼曰く"よほどの熟練者の武器でなければ同時に創ることは可能"だそうだ。

「では奥の部屋に行こうか」

 四人は和やかな雰囲気のなか、連れだって研究室の奥の部屋へと足を進めるが、最後尾のアレスは緊張によるためか強張っているように見える。
そこには吹き抜けの高い天井まで届きそうな勢いの本が無限に並べられており、ガーラントがよく引きこもっている部屋のひとつだった。

 ひんやりとした空気の中いくつもの燭台に火が灯され、中心には彼らの影がはっきりと映し出される。

「アレス、これから君だけの杖をダルドに創ってもらおうと思う」

「は、はいっ! もしかしてそれが新しいお役目と何か関係が……?」

 賢いアレスはさすがに察しがいい。
同席したガーラントはすでにその話について知っているため、遠回しな言い方はもはや必要ない。

「そうだね。ダルド、君にも聞いてもらいたい話なんだ」

「……わかった」

 武器を生成する身のダルドは、その持ち主がどんな任務に就くかなど知ったところでなんら関係のない話なのだが、いつもとは違う話の運びにピリリとした何かを感じたらしい。神妙な面持ちになった彼はキュリオへと全神経を集中させる。

「アレス。数日前の晩……私が精霊の国を訪れた話は知っているかい?」

「は、はい。なんとなくですが……」

 使者としての任務を完了し、道中で起こった様々な体験をガーラントやカイたちと話をしていたあの夜の出来事だ。
彼は魔術師の塔ですでに眠りについていたが、城全体が大きな騒ぎとなったため少なからずアレスの耳にも噂の端々が飛び込んできたのである。

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