夢のひと時
「ここは奢るから、ね。なんでも好きなもの頼んで。ケーキ絶品だよ」
「じゃあ、ザッハトルテとコーヒー」
「私もそれ」

コーヒーとケーキが運ばれてきてしばらく経っても、その人は現れなかった。二回とも今くらいの時間だったし、やっぱり今日もダメかと残念な気持ちになる。

「ガッカリした顔。図書委員の神崎先輩だっけ。読書の趣味も合うし、落ち着いていて寡黙で理想にぴったりな。学生の頃もよく『神崎先輩以上の人がいない』って聞かされたわ」
「うん、自分でも記憶ある」

といっても先輩との関わりは主に図書カードの中だけだった。つまり読んでいる本の好みがよく似ていたのだ。現実世界では仲が良かったわけでも、よく話をしたわけでもない。単純な片想い。憧れすぎて彼が基準になっていた私に、夢ばかり見てても始まらないと奈美はよく喝を入れていた。

「さすがにもう忘れたと思ってたけど、まだ健在だったとは。雛も相当だ」
「いや、私も先月見かけて一気に記憶蘇ってきてね」
「よく言うよ」
「独り身のささやかな楽しみってこと許して」

寒くなり人恋しくなる季節だ。私だって少しくらい夢をみたい。
例えロビーでもここなら良い夢が見れる気がする。

「ま、実際に現れたら私も見てみたいからいいけど」

先輩のことは大学時代に散々話していたけど写真もなかったので、奈美が彼の姿を見たことはない。
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