恋の仕上げはマナーハウスで
恋の仕上げはマナーハウスで
「うわあ、ここどこって感じですよね! 日本じゃないみたーい!」

周囲を見回して思わずため息がこぼれた。ここは最近オープンした森の中のホテル。深い緑に囲まれた広い敷地に、英国のマナーハウスを思わせる蜂蜜色の石造りの大きなホテルが建っている。張り出したバルコニーに四角い大きな窓、三角の屋根。広い庭は緑の芝生に覆われていて、大きな池には周囲の自然が映り込んでいる。

今回、私は大村拓海編集長とともに、このホテルの取材に来た。といっても、実は隠密取材で、ホテルには事前に了承を得ているものの、いつ誰が来るかは秘密。

応じてくれた時点でサービスに自信のあるホテルだとわかるし、読者からもホテルの本当の姿がわかる、となかなか好評なのだ。

私はまだ入社二年目で、めったに現場に出られないんだけど、今回はこんなステキなところを担当できて感激だ。

「このホテル、ヤバすぎですよね、編集長!」

嬉々として右隣に立つ編集長を見上げたけれど、彼の渋面を見て、やってしまった、と後悔した。案の定、厳しい言葉が返ってくる。

「深江、雑誌編集者としてその日本語はやめろ」
「すみません……」

私は小さく舌を出して肩を縮込めた。“毎日をおしゃれに、上質に”をコンセプトにした、働く男女向けの情報誌。その記事に憧れて入社したというのに、いまだに言葉遣いを編集長に注意されてしまう。

「行くぞ」

編集長がホテルのエントランスに向かって歩き出し、私はその背中を追いかけた。

編集長は三十五歳、背が高くてイケメンで、切れ長の目元がたまらなくセクシー。黙っていれば男性ビジネスファッション誌のモデルだってできそうだ。でも、誰かに使われる仕事は嫌だ、とかいう理由で、自分で会社を興したのだ。

私が今、担当している雑誌『ジョエル』は二十代の働く女性をターゲットにしているだけに、がんばりたいところなんだけど……来たばかりでいきなりお叱りを受けてしまった。

でも、二十三年間使ってきた言葉って、なかなか直んないんだよね……。あ、いけない、直らないんだよね、だ。

「深江、なにしてる」
「すみませんっ」

編集長に呼ばれて足を速める。

「ボーッとしてたわけじゃないよな。調度品の観察でもしてたのか?」

射貫くような鋭い眼差しにうっとりしてしまう……って本当にうっとりしてたら、また叱られるから!

私はあわててバッグからICレコーダーを取り出した。

「は、はい! これからしようかと!」

ホテルの関係者に見つからないよう、手のひらにすっぽり隠して口元に近づけ、スイッチをオンにする。

「英国の風光明媚な田舎を思わせるトラディショナルな概観は、オープンしたてとは思えない深い奥行きのある時間を感じさせる……」

レコーダーに向かって言葉を紡ぐと、レコーダーを持っていた手を編集長が軽く押さえた。

「却下。今のは深江らしくない」
「えーっ」

せっかく働く大人女性向けのコメントを、ない脳みそを絞って一生懸命考え出したのにー。

「深江の言葉で語ってみろ。たとえば、この壁の色を見てどう思った?」

編集長が入り口の重そうな石の壁を軽く叩いた。

「あー、えっと」

また日本語が変だとかおかしいとか怒られないだろうか。

うかがうようにチラッと視線を送ると、編集長の二重の目元が優しく細められた。

「俺はおまえの言葉が聞きたい」
「あ、はい……」

私はゴクリと喉を鳴らして、口を開く。

「壁はほんのりと蜂蜜色をしていておいしそう。疲れた心を癒やしてくれそうな優しい色合いで、編集長の暴言に傷ついたりしたときに訪れたい」

編集長が私の頭をコツンと叩いた。

「“編集長の暴言”ってのは余計だったが、深江らしくていいぞ」
「あ……りがとうございます」

編集長の手が触れたところがなんだかあったかい。私はそっと頭に手で触った。

編集長が厳しい言葉を言うのは、馬鹿にしているからでも八つ当たりしたいからでもない。育ててくれようとしているんだってわかる。

編集長の優しさの裏返しなんだって、私は知ってる。でも、きっとこういうのは部下の誰にでもやってるんだろうなぁ……。

なんてちょっと切なくなっていたら、また編集長の目つきが鋭くなった。

「ほら、次はエントランスだ」
「はい!」

私はあわててロビーに足を踏み入れた。編集長がレセプションに向かう間、私は周囲の描写と感想をこっそりレコーダーに録音し始めた。

「じゃあ、レストランに行くぞ」

戻ってきた編集長に促されて、蜂蜜色の廊下を歩いた奥、庭に面したレストランに入った。

「いらっしゃいませ」

パリッとした制服姿のウェイターに大きな窓のそばのテーブルに案内された。ウェイターが椅子を引いてくれ、丁重な扱いに恐縮しながら腰を下ろす。

バッグからレコーダーを取り出そうとしたら、編集長に止められた。

「さすがに食事中はやめておけ」
「あー……そうですよね」

マナー的にダメだろうし、なにより隠密取材がバレてしまう。ってことは、なにを食べたか、しっかり覚えてあとでメモしなくちゃ!

「取材するのはこのホテル一押しのコースなんだが……合わせてワインも頼むか」

編集長がワインリストを私に向けた。

わーい、あのコースならやっぱりワインも飲みたいなって思ってたんだ!

「飲みたいのはある?」

訊かれてワインリストを覗き込んだけど、知らない銘柄ばかり。

私は思いついて顔を上げた。

「こういうホテルって、やっぱり特別なときに泊まりたいですよね」
「うん?」

編集長が少し首を傾げて私を見る。

「だから、やっぱり私たち女性は男性にリードしてほしいって思います」
「なるほど」

編集長はふっと笑みをこぼした。ああ、なんて罪な笑顔。

なんて私が内心悶えているうちに、編集長が言う。

「メインが牛フィレ肉のロティだから、赤はどうだ? ライトだと物足りないかもしれないし、フルーティなミディアムボディくらいなら、慣れてなくても飲みやすいだろう」
「じゃあ、それでお願いします」

なんだかんだ言いつつ、編集長は編集部員の好みをしっかり把握している。差し入れだって、いつも私たちの好きなものばかりだし。

テーブルに来たウェイターに編集長が注文を伝えてくれた。ほどなくしてワインとともに料理が運ばれてくる。

セロリと蟹のムースとか、魚介のココットとか、舌平目のヴィエノワーズとか。おいしいのはもちろんだけど、目の前に憧れてやまない人がいる。

「幸せ~」

ついうっとりして言うと、編集長がクスッと笑った。

「やばうま、とは言わないんだな」
「い、言いませんよ。確かにヤバイくらいおいしいですけど、今は幸せだなって気持ちの方が大きいんですから」

メインの牛フィレ肉のロティには、ポルトガルのマデラワインを使った少し甘めのソースが添えられていて、悶絶したくなるおいしさだ。

なーんて、記事にそんなふうに書いたらダメなんだろうなぁ……。おしゃれな女性向けの記事を書くには、やっぱり私ももっとおしゃれにならなくちゃいけないよね。

まじめなことを考えながら、デザートの柚子のソルベとコーヒーをいただく。

「あとは部屋を見せてもらって、それを記事にまとめたらいいんですよね」

私がコーヒーカップをソーサーに戻しながら言うと、編集長が改まった表情で私を見た。

「それなんだが……」
「はい?」
「見るだけじゃ記事にしにくいだろうと思ったから、部屋を取った」
「あ、そうなんですか。って、ええっ!?」
「なんだよ、その反応」

編集長に苦笑されてしまったけど、でも、だって!

「あ、そうか。私だけ泊まるんですよね。やったー、仕事で豪華マナーハウスに泊まれるなんて!」
「そうくるか」

編集長は呆れたような表情で、ウェイターに会計の合図をした。近づいてきたウェイターに伝票ホルダーを差し出され、編集長はクレジットカードを挟んだ。

「お預かりします」
ウェイターが離れてから、編集長が口を開く。

「まあ、部屋を見てから考えろ」
「はあ」

編集長が会計を終えて、私はよくわからないままレストランを出た。

もしかして、本当は編集長が泊まるつもりで、私は記事を書くために中を見せてもらうだけだったとか……? うわー、絶対そうだ。だって、私みたいなぺーぺーが泊まるなんてずうずうしいよね。

反省しつつ、編集長の案内で部屋に向かった。

「うわあ!」

ドアを開けてもらってびっくりだ。室内の装飾はライトブラウンとベージュで統一されていて、大理石の暖炉がクラシックな雰囲気だ。キングサイズの広いベッドは天蓋付きで、まるでヨーロッパのお城みたい。っていうか、ここはマナーハウスがモチーフなんだった。

私はバッグからレコーダーを取り出して編集長に向き直った。

「さっきはすみません」
「なにがだ?」
「ここに泊まるのは編集長なんですよね? 私、ずうずうしくも自分が泊まれるなんて思い込んじゃって」
「泊まりたいなら泊まっていいぞ」
「え? 私が泊まっていいんですか?」

うかがうように編集長を見上げたら、編集長が右手を伸ばして、私の顔の横の壁にそっと手をついた。

こ、これって壁ドンってやつじゃないですか! よく見るシチュエーションだけど、実際にされるのは初めて! しかも相手が憧れの人だなんて……頭がパニックになりそうだ。

「おまえの記事、“等身大で親しみやすい”って人気なの、知ってるか?」
「そ、そうなんですか? そんなふうに思われてたなんて嬉しいです」

編集長の顔が近すぎて、私は体を縮込めるようにしながら言った。

「ああ。でも、おまえの魅力がそれだけじゃないってこと、俺は知ってるつもりだ」
「あ、ありがとうございます」

ドキマギする私の目の前で、編集長が切なげに表情を歪める。

「だけど、俺は欲張りだから、今以上におまえの魅力を知りたい、と思う」
「わ、私の魅力……?」
「そうだ。俺はそういう対象にはならないか?」
「そ、そ、そういう対象って?」

見たことのない編集長の表情に、心臓がバクバク言って息苦しくなる。

「俺は深江より一回り年上だ。やっぱり恋愛対象にはならないだろうか?」
「へ、編集長の方こそ、私みたいな子ども……」
「俺はおまえを子どもだと思ったことはない」

編集長の顔が近づいてきて、少し動けば触れ合いそうな位置に編集長の唇がある。

「おまえともっと一緒にいて、おまえのことをもっと知りたい」
「わ、私も、編集長のこと、もっと知りたい、です」

私の言葉を聞いて、編集長が妖艶に微笑んだ。

「二人きりのときは、拓海、と呼んでほしい」
「拓海、さん……」

かすれた声でどうにか言葉を発した。名前を呼んだとたん、いつも感じていた壁が崩れて、彼との距離がぐっと近くなる。

「美央」

甘くかすれた声で名前を呼ばれ、嬉しくてほころんだ私の唇に、ゆっくりと拓海さんの唇が重なった。

拓海さんの唇は柔らかくて温かくて……唇を軽く食まれて、背筋がぞくりとした。大人のキスに酔ってしまいそうで、少し背伸びをして同じように彼の唇を食んでみる。

拓海さんがふっと吐息をこぼし、唇を離した。私の額に軽く額を当てて、少し怒ったような表情になる。

「そんなふうにして俺を焚きつけて……もう選択肢はやらないからな」
「え?」

目の前の熱を孕んだ拓海さんの眼差しにドキンとする。

「俺はさっき、美央に“泊まりたいなら泊まっていい”と言ったが、そんな余裕はなくなった。もうおまえを帰さない」

えっと思ったときには、膝裏をすくい上げられ、ふわりと横抱きにされてベッドに運ばれた。

「実際に寝てみないと、寝心地はレポートできないだろ?」

拓海さんがいたずらっぽくささやき、私に覆い被さった。柔らかなベッドがふわんと沈む。

「ま、朝まで寝かせないつもりだけどな」

そう言って口角を引き上げた拓海さんの笑顔は、ぞくぞくするほど色っぽかった。
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