恋愛生活習慣病

act.24

「すべて李紅の希望どおりにしよう。だから俺は李紅のヒモになる」

「ひ、ヒモ……」

「そう。ヒモ彼だ。俺はヒモだから李紅に養ってもらうために一緒に暮らすしかないんだよ」

「一緒に暮らすしかない……」


冬也さんが、私のヒモ彼。

ヒモ彼だから、私が養う。だから一緒に暮らす。

そっか。そうだよね。それは仕方がない。


「ってそんな屁理屈通りませんよ! 冬也さんは超高給取りじゃないですか。それにこのマンションに一緒に住むって言ってましたけど、私のお給料じゃこんな高級な所の賃貸料なんて払えません。広すぎるから掃除なんてますますできないし、かと言って家政婦さんなんて私、雇えません」


住居や経済的負担は養う側の担当。家事と癒しはヒモが担当。
私の中のヒモ関係とはそういうものだ。


「冬也さん相手だと、私は経済的担当ができません。冬也さんだって忙しいんだから家事と癒しの担当はできませんよ」


冬也さんは世界的な大企業の多忙な一流経営コンサルタント。
部下もいて、急な海外出張もあるような人が私の世話なんてできない。


「ヒモ関係は理想ですけど、無理ですよ。私は、ヒモという私の世話をしてくれる存在が欲しかっただけです。だから私たちは別々に暮らしてたまに会うような普通のお付き合いを、」

「分かった」


冬也さんは私の話を途中で遮り、少しとげとげしくなってしまった空気を払うように、明るい声を出した。


「分かったよ。この話は保留だ。また改めて話そう」


ひとまず保留。うん、そうね。
というかこの件は終了でしょ。

明日は仕事だし、着替えや準備があるからと(主に溜まった洗濯物の処理。今日洗濯しないと着るものがない。それに一昨日からテーブルに置いたままになっている、納豆ご飯を食べた後の食器がやばい)自宅アパートに帰らせてもらった。

冬也さんの私の理想に合わせようと思ってくれる気持ちはありがたいけど、いろいろと無理がある。
だって冬也さんは、ヒモになる必要が全くないし。

まあ普通に一歩一歩、お付き合いしていけたらいいな。


と思っていたんですが。




翌日の月曜日。


「今日、会社を辞めたいと申し出てきた」

「え?」


冬也さんに仕事が終わったらHotel Citron Orientalで待っていて欲しいと言われ、高級感にお尻がもぞもぞしながらティーラウンジで待っていた私は、会った途端にとんでもない事を聞かされた。


「会社を、辞めた……?」

「すぐに辞めるつもりでそう申し出た。だけどすぐに了解は得られなかったよ」


うんざりしたように溜息を吐いていらっしゃいますが。
ど、どうしたのいったい。
何か辞めたくなるような出来事があったの? 
辞めたい理由って……まさかヒモになるから、とか。
いや。いやいやいや、冬也さんはそんなアホではない。きっと前々から転職を考えていたんだよ。それで退職。


「転職ですか? ヘッドハンティングとか」


口に出して思い出したけど、前にクロエさんが言ってた親戚の会社の重要なポジションにつく予定ってやつ。もしかしてその為じゃない?


「他社からの誘いはあるけど、今は日本を離れたくないから。李紅が一緒に行ってくれるなら検討するけど、李紅はその気はないだろう?」

「え?冬也さんの転職に付いて行くってことですか?私が?」

「李紅。まったく関係ないって顔をしないでくれ。離れたくない、一緒にいたいと思っているのは俺だけか?」


あー、そうか。冬也さんが日本を離れるってことは遠距離恋愛になるのか。
いまいちピンとこない。付き合い始めたんだよね私たち。
えへへと笑うと、冬也さんは渋い顔になって「これだから李紅は油断できない」と呟いた。


「俺が会社を辞めたい理由は、ヒモに専念するためだよ」

「はい?」


耳を疑うという言葉はこんな時に使うんだと思った。
私の耳が、今何かおかしな事を聞き取った。

ヒモに、専念……?


「ごめんないさい、冬也さん。今の、もう一度行ってもらえますか」

「何を? ヒモに専念するために会社を辞めたいと言ったこと?」



き、聞き間違いじゃなかった――――――――!!



「冬也さん? ヒモって、専念て、本気で言ってます?」

「もちろん。李紅の理想の関係を築くために努力は惜しまないよ」


ってキリッとした眼差しで、かっこよく言われても、努力の方向間違ってますから!


「冬也さん……だから普通に付き合いましょうって言ったじゃないですか」

「普通の付き合いは李紅が望んだ形ではないだろう? 今後、無職で家事ができる気配り上手な男が李紅にヒモ関係を申し出てきたらどうするんだ」

「そんな物好きな人いませんよ」

「可能性はゼロではない。それに李紅。今の場面で、なぜ俺以外の男と付き合うことを否定しないんだ」


Wow 失言。

冬也さんって、もしかして嫉妬深い?
私が美形彼氏の冬也さんの心配をするならまだしも、冬也さんのありえない「もしも」のせいで、私が嫉妬とか不安になる暇が無いっていうね。
こんなのちょっと想定外。
 

「私に関しては無用な心配です」

「李紅。リスク管理とはあらゆるリスクを徹底的に洗い出し、それぞれのリスクを防止するための対策案を出し実行することだよ」


リ、リスク管理。
こんな干物女にそれは必要なのだろうか。

だいたいヒモに専念するためとか、現れる可能性のとても低いヒモ彼候補をけん制するためとか、そんな理由で会社を辞めるって極端すぎませんか。


「だからって会社を辞めるのはどうかと思うんですが……」

「退職は保留された。その代わり、1年の長期休暇をもらったよ」


い、1年!? 長っ! 


「その間、俺はヒモに専念する。李紅の世話をして癒す、理想のヒモ彼になれるよう頑張るよ」


ええええええええ――――――!?


「李紅が担当したいと言っていた経済的負担と住居の提供は、俺にとって必要ではないから、代わりに李紅には癒しと愛情の提供をしてもらいたい」

「で、でも長期休暇の間は無給ですよね。経済的負担は私がします。私はここの家賃は払えないから、私のアパートに来てもらうことになりますけど」


出産休でも育休でも傷病でもない休暇(ヒモ休暇というのか?)なんだから、きっと無給だよね。
仕事辞めるって言われて驚いたけど、冬也さんがそこまで覚悟してくれたなら私も腹をくくろう。

ここは女として、立派にヒモ彼を養っていくから……!


「年棒はダウンするけど問題ないよ。それに給与とは別に安定した収入はあるから金銭的な心配はしなくてもいい。住まいはこの前話した通り、今のマンションにしよう」


あ、そう、なんですか……。ちょっとテンション下がる。


「李紅と子ども10人くらいなら、養うだけの資産は十分にあるから大丈夫だよ」

「こ、子ども10人!?」

「それ以上でもいいけど、李紅の体に負担がかかり過ぎるだろう?」

「いや、それ以前に問題がありますよね?」


そんなに産めません。

冬也さんが実は子ども好きだったとは知らなかった。
え、まさか安産そうな私の骨盤に惚れたとか?
てか付き合い始めたばかりで子どもとか考えられない……。

私の考えが顔に出ていたのだろう、冬也さんは安心させるように小さく笑った。


「違うよ。子どもは居なくてもいいんだ。李紅さえ傍にいてくれたら、それでいい」


一緒に居たい。傍にいて欲しい。だから。


「今日からここで、一緒に暮らそう」



にっこりと微笑む美しいお姿の背後に、黒い羽根が見えたような気がした。







一緒に暮らそうと言われたその後。

今日は家に帰ると言ったのだけど「アパートは引き払ったよ」などと驚愕の事実を告げられて冬也さんの部屋を訪れたら、そこにはすでに私の荷物が運び込まれていた。

冬也さんの書斎の隣の部屋に、そっくりそのまま移ってきたかのような、私のアパートの部屋。
広い部屋に六畳の部屋がちんまり入っている。
やっすいカラーボックスが高級な作りの部屋で違和感を醸しているし、ゴミも落ちていないし洗濯物も散乱していないけど、私の部屋だった。

ただ、クローゼットにはパイプハンガーに掛けていた私の服だけではなく「少し買い足しておいたから」という高級高品質な洋服や下着、バッグにアクセサリーや靴などが大量に増えていた。
これらの物も以前お泊りした時の服や下着も、ホテルのコンシェルジュ経由でビルに入っているブティックから取り寄せたらしい。
大抵の物は「いつでも」「すぐに」調達できるから、欲しい物があればフロントに電話するよう言われたけど、そのサービスを使うことはないと思う。私は密林さんの通販で十分事足ります。ザ・庶民。


冬也さんは宣言した通り、ヒモ生活をスタートさせた。


家事はほとんどしたことがないと言っていたから、レベル的には私より少し下かも、なんて失礼なことを思っていたら、多少慣れない様子はあったものの、出来る男は料理も洗濯も掃除も完璧だった。


「洗濯は洗濯機がするし、掃除はロボット掃除機がほぼやっているから。料理は慣れるまでに少し時間がかかりそうだけど、今はインターネットで検索すれば、手順もコツも詳しく載っているから大きな失敗はないよ」


黒焦げで食べられない~とか、白シャツがピンクになった~とか、わー!ガッシャーン!きゃー!的な事件は何も起こらなかった。

冬也さん曰く「使用器具の説明書を読んで機能や使用方法を把握すれば、失敗するはずがない」だそうです。
使いながら体で覚える説明書を読まない派の私は失敗ばかりなのは当然すね、ええ。


最初こそ、こんなバリバリのエリート(超イケメンのオプション付き)に家事をやらせるなんていいのだろうか、罰が当たらないだろうかと、申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだけど、冬也さんは面倒がるどころか楽しんでるみたいだった。


「プライオリティの見極めが重要なのは仕事も家事も一緒だな。意外と奥が深い」


と言って効率よく質の高い家事を目指して日々精進している。
この調子だと一流家政婦レベルになるのは、そう遠くないと思う。


嬉しいことに、冬也さんは私と出会ってから食事することが楽しいと感じるようになったそうだ。

外食にもよく連れて行ってくれるけど、食事を楽しむことだけでなく、そこに味の勉強という目的も加わった。
さらに、私が美味しいご飯を喜ぶからと、冬也さんはHotel Citron Orientalの和食担当料理長から個人レッスンを週一で受けるようになった。


「一流の料理人はやはり違うな。実際に見て包丁の扱いや出汁の引き方がよく分かった」


冬也さんは料理のセンスがあるみたいで、料理長が「弟子にしたい」と思わず呟くほど包丁さばきも盛り付けも、あっという間に習得していった。
最近では舞鶴キュウリとかいう形で切られた酢の物や、薄味で上品な鴨の治部煮など、めちゃくちゃ美味しい手の込んだご飯を食べさせてもらっている。
今後はフレンチやイタリアンのレッスンも受ける予定らしい。

料理まで完璧とか、ほんと何者なのこの人。無敵すぎる。

おかげで私は胃袋までも完全に、がっちり掴まれている。
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