ESCAPE
「大丈夫だよ。意外とマイナーなんじゃん?」
そう言ってアタシは、彼のセブンスターを一本ふかすと、彼は従順な子猫のような視線で上目遣いでアタシを見ながら「アリガトウ」と小さく呟いた。
まったく、なんて気の弱い奴なんだ。なんで、ヒトゴロシなんか。
アタシは、そう何度も言いかけたのだけれど、喉まで出かかった辺りで何度も寸止めした。
その昔、志村けんがドリフのコントで、ゲロを吐き出しそうになって飲み込む芸当。アタシの振る舞いはそれに似ている。だから、今この場にいる自分とメタボの被写体を冷静にモニタに投影してみれば、笑われるのはアタシの方なのかもしれない。まあ、そんなことはどうでもいいのだけれど。タバコを吸い終えるとアタシは、小銭処理のためにかったガムを味がなくなるまで噛み続けていた。彼にもすすめてみたが、断られた。メタボはさっきからウーロン茶を水溜りに浮かんだ羽虫のようにチビチビと舐めている。もう、唾液も出ないのだろう。

***

やがて、アタシたちはバカでかく、真っ白な高速バスに乗り込んだ。椅子は、なかなかの革張りで、腰掛けると、フワッとした調度いい反発が帰ってきた。彼は、一番後ろの窓側の席を希望していたのだけれど、そこにはあの外人カップルが座っていた。アタシたちの席は真ん中より、少し後ろの通路を挟んだ内側の席で、彼に何か話しかけようとするたびに、「ちょっとごめんよ」と乗客たちやドライバーが通路を駆け抜けていった。

「ウーロン茶飲む?」
「寒い?」
なんとなくへこたれている彼を見てなんだか可愛そうになり、アタシはどうでもいいことを話しかけてみるのだが、そのたびに彼は「うん」と小さく頷き、心ここにあらずといった感じで、窓についたジャラジャラとした照明器具をもてあそんでいる。彼のことがなんとなく心配ではあったけれど、アタシにとっては、その幅50cmほどの通路の間隔が妙に心地よかった。大体、アタシは彼の味方でも、敵でもないのだ。バックレようと思えばいつでも逃げられるし、久しぶりの旅行なのだ。隣に座ったイラン人風のオトコが、こんがり焼けたパンのようなものを薦めてきて、アタシは礼を言って、それを頬張る。こんがり焼けた皮と、油っぽい肉汁がおいしい。メタボにも薦めてみたが、彼はまた無言でクビを横に振った。
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