恋は質量保存の法則
第十話

 卒業式を前日に控えた放課後、律佳は那津より呼び出しを受ける。卒業と共に離れ離れになるということもあり、互いに意識し変に遠慮していた部分があった。呼び出された中庭に行くと那津は池の鯉を見つめており、声を掛けると振り向く。
「お待たせ、なっちゃん。掃除で遅れちゃった」
「ううん、大丈夫」
「卒業前になっちゃんとゆっくり話す機会持ちたかったからちょうど良かったよ」
 律佳の言葉に那津は暗い顔で黙り込む。その様子に訝しがりながら問い掛けるも、それに対して返ってきた言葉は意外なものだった。
「なっちゃん、何かあった? 様子が変だけど」
「冬馬君とはどういう関係?」
「えっ?」
「りっちゃん、坂本君と付き合ってるよね?」
「付き合ってるって言うか……、うん、まあ仲は良いかな」
「多分気づいてたと思うけど、私はずっと坂本君に片思いしてた。でも、親友のりっちゃんと両想いなら仕方がないって諦められる部分もあった。だけど、冬馬君までって言うのは許せない」
 思ってもみなかった内容と感情的な言動の那津に気圧されながらも答える。
「冬馬君って隣のクラスの? 全然接点ないんだけ」
「嘘、この前図書室の上の階段で話してたじゃない。その後、坂本君とも仲良くしてた」
(よく見てらっしゃる。でも今のところ二人とも何もないし)
「確かに話はしてたけど、異性としてどうこうとかではないし。もしかして、なっちゃん冬馬君のこと好きなの?」
「悪い?」
「悪くはないし、普通に応援するけど」
「良く言うよ。冬馬君に聞いたけど『立花さんは自分にとって大事な人だから』って断られたんだからね」
(大事な人? ほとんど話したことないのに意味が分からない)
 突然の展開に内容が整理されず黙りこくってしまう律佳だったが、それを肯定と取ったのか那津は不敵に笑う。
「親友のふりして坂本君のみならず冬馬君まで私から奪うなんて最低よ。今日限り貴女とは縁を切るから。今日はそれを言いたかっただけ」
「なっちゃん……」
「さよなら、立花さん」
 有無を言わさない力強い別離の言葉を放ち那津は足早に去って行く。過去の歴史になかった展開に状況が全く把握できず、律佳はただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった――――


――現状、冬馬の不用意とも取れる発言がきっかけとなったのだと考えた律佳は怒り心頭で隣のクラスへと向かう。
 しかし、教室内には既におらず次に可能性の高い図書室へと踵を返す。階段を駆け上がり図書室の前まで来ると勢いよくドアを開け中を見渡す。そこにも当該相手はおらず律佳の様子に訝しがる生徒が数人いるだけだ。その中には純平もおり目が合うと、それだけで怒りのボルテージは急降下した。純平の前の椅子に座ると当然の質問が飛んでくる。
「随分と慌ただしい登場だね。どうかした?」
「ん、ちょっとね」
 意中の相手を目前に他の男性を探していたなど当然ながら言えずはぐらかす。純平も何かを隠していることは察しながらも敢えて聞かない。
 お互いに黙ったまま本棚のタイトルを眺めていたが、律佳はふと疑問点が浮かび純平に聞いてみる。
「ねえ、坂本君。過去の歴史に起きなかったことが起きるってどう思う?」
「唐突だね。例えば近江屋事件が起きなかったらって感じ?」
「まあ、そんなところ」
「過去の歴史を知らなければそれが既定路線であり史実だ。歴史が変わったと認識できるのはタイムストリッパーだけで、でもそれを認識したところでどうもできない。ただ現実に起きた事実を受け止めて生きて行くだけだろう」
「事件が起きようが起きまいがどうしようもないから受け入れろって感じね。まあ、実際そうなんだろうけど、歴史を知っている私からしたらなんでこんな事件が起きたんだろうって戸惑うわ」
「それを言ったらタイムスリップという行為が起きてる時点でなんでだろうって感じだよ」
「確かに、それが一番の謎ね」
 理論的な純平の意見を聞き、那津との件を冷静に受け止める心理状態になってくる。冬馬の発言がきっかけで許せないのは前提として、それを押しても一方的な那津の意見も思い込みの部分があり冷静さに欠けていた。
(過去の歴史でもなっちゃんとの関係はどうしてだか切れた。今回の件もなるべくしてなったと言えばそうなのかもしれない。これが歴史の修正力なのかもしれない)
「坂本君、歴史の修正力ってあるかもしれない」
「ん? まあ、どちらかと言うと僕も肯定派だけどね。何? なんか修正力を実感する事件でもあった?」
「ちょっとね。でも、坂本君の言う通り、事実として受け入れて行くしかないかなって思う」
「うん、歴史という大きな流れの中で人が出来ることは小さいからね。でも、抗える部分もあるだろうし、そうしないと未来の立花さんが転落死してしまうからね。どうにかしないといけない」
「どうにかできそう?」
「前向きに善処します」
 冗談交じりの返事を受け律佳の心は温かくなる。那津や冬馬のことは気に掛かるが、いくら自分が望んでいなくても事件は起きる。
 純平の言うようにその都度、対応し受け止めて行くしかない。目の前に座る穏やかな顔の青年が、この先の未来必ず自分を救ってくれると信じながら。

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