運命は硝子の道の先に
Ⅰ ストロベリーミルク

1 「fato」


 柔らかく注ぐ照明にゴブレットの水は青く揺れ、グラスはうっすら汗をかいている。それを指の端で拭い、ガラスの道を描く。視界の端に映るメッセージには心もない言葉が並んでいた。

 思えば彼との出会いは、運命的なものでも奇跡という言葉で飾るようなものでもなかった。
 傘を忘れた女性とそれを渡した男性。字面を見るとただの日常のやりとりに思える。しかし、彼の驚いたような、恥ずかしそうな表情は今でも忘れられない。じっとりとはりつく制服の白さや背中に流れる汗の不快さを思い出さずにはいられないのだ。田舎の無人駅、三十分に一本の電車に傘を持って飛び乗った彼の髪は、湿気に当てられ、不自然に巻き上がっていた。


 ふと気が付くと、数杯のグラスを空けていた。一体どれほど飲んでしまったのか。そもそも何を頼んだのか。彼があらかじめ頼み、用意していた、とっておきの白を開けてしまったのかもしれない。いずれにしろ、酔いはかなり回っているようで、視点が上手く定まらない。空きっ腹に流し込んだのだのが余計いけなかったのかもしれない。店員の労るような、嘲笑うような目を避けながら、会計を済ませることにした。

 その後は、考えもなしに馴染みのある通りを歩き続けた。真新しいヒールは私のつま先と踵を傷つけ、その痛さすら何故か心地よく感じた。
 ふと見上げると、黒地に赤で「fato」と書かれた電飾看板が目に入る。入り口の重く閉じられた黒い扉までの通路には見覚えがある。以前来たことがあるはずだ。おぼつかない足取りで扉に向かい、少し錆びたドアハンドルに手を伸ばすと、思ったよりもあっさりと来客を受け入れる。扉からは流れ落ちるピアノの旋律とワイヤブラシの軽快なリズムが洩れ出してきた。

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