運命は硝子の道の先に

4 濡れた傘の裏側


「遅い」

「……すいません」

 仁王立ちでカウンター前に立つ店員。その前で、ずぶ濡れの傘を持って、頭を下げる女性。そして、その周りでおろおろと歩く推定四十代の男性。
 もし店を閉めていなかったら、客はどんな目でこれを見ていたか。
 一通りの流れを終えた後で、アキはそう零した。

「でも、俺は五時って言ったんだから」

「来てくれただけでも有難いと思うべきだよ。息が上がるほど急いで来たんだ。ヒールなのに」

「だけどな」

「でもとか、だけどとか、大人げないから止めた方が良いよ」

「……う、分かった」

 店内は音楽も流れておらず、閉店作業に入っている店員の声が時折奥から聞こえるだけ。ヒロはアキに説教されながら、モップをせわしなく動かした。どうやら、アキ相手では歯が立たないらしい。大人しく言葉に従うヒロに、思わず笑みが零れる。

「笑うな。大体お前が遅れるから、」

「……ヒロ」

「分かったよ。来てくれて有難う、ゴザイマシタ」

「よろしい」

 まるでコントのようなやり取り。
 笑ったら、また怒られそうで。バースツールを回しながら、私はタンブラーを傾けた。

「申し訳ありません、ジュースしか出せず」

「いえいえ、寧ろ置いてもらって申し訳ない。店長さんもお忙しいのに」

「ここではどうぞマスターと。一花さんは常連、それもヒロのお気に入りですから」

 カウンターの奥でにこりと微笑むマスター。先ほど、私とヒロの間で慌てていた男性だ。
 いつもヒロやアキに対応してもらっていたから話すのは初めてだったが、実に物腰の柔らかそうな人で、襟足のすっきりとした髪型、洗練された装い、美しい立ち姿と、如何にもマスターという風貌だった。
 マスターの言葉に、ヒロは後ろで抗議の声を上げる。だが、さすがに目上の人には強く言えないのか、すぐに収束してしまう。普段は威勢の良い男だが、本当は一番子どもなのかもしれない。
 ひたすらにモップを動かすヒロの様子に、私は今度こそ笑い声を上げた。



 仕事を終えたヒロと店を出たのは五時半過ぎ。もう少しマスターと話してから帰ると言うアキと別れ、雨の降り続く空を見上げた。頭上の雲は厚く、いよいよ梅雨入りかと思わせる。

「雨、強いな」

 そう言って、ヒロは渡した傘を広げる。途端に耳に届く雨音が大きくなった。

「もう始発出てるだろうから」

「うん」

「気を付けて帰れよ」

「うん。本当ありがとね」

「いや、別に。……って、お前」

「……?」

 ヒロは瞳を見開くと、即座にその目を上から下へ。何だか、この光景、デジャビュ。
 何かを悟ったのか、肩を落とし、そのままため息をついたヒロ。一体、何だと言うのだ。

「お前、傘は」

「……あ」

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