禁断の恋
禁断の恋
 
これは恐らく禁断の恋だろう。
私のような男が彼女に恋をしてしまうなんて。
1年も想い続けているだんて。
根城にしているアパートを出て歩く事2分、周りの質素な雰囲気には不自然で不釣合いな豪邸から彼女は出てくる。
「あら、ごきげんよう」
 すらりとした体つきに漆黒のドレスに身を包んだ黒髪の彼女が敷地の外で見ていた私に気付き丁寧に頭を下げてあいさつをする。その姿はまるでどこかの貴族の令嬢のようだった。
一方私はと言えばぼさぼさの茶髪と薄汚い茶色のコートが目立ついかにも貧乏人といった容姿だった。
「こんにちは。偶然ですね」
 あなたに会いたくて門の前で待っていたとは流石に言えなかった私はあくまで偶然通りかかった風を装った。
「不思議ね。私が出かける時にいつもあなたに会うなんて」
「あはは、そうですね」
らしく笑う。
「どこへ行くんですか?」
「天気が良いのでそこの公園まで散歩に行こうと思ってますの」
 気品の溢れる話し方、それでいて私のような者に対しても決して見下したりする事なく気さくに振舞ってくれる彼女。
「そうだ。よろしければご一緒しませんか?」
「え、僕も行っていいんですか!?」
 願っても無い彼女からの申し出に私の鼓動は高鳴った。
「ええ。あなたとお話する時間は楽しいですもの」
 そう言って彼女は門を出て私の隣に立つ。
彼女にすれば何気ない一言だったのだろうが意中の女性にこんな台詞を言われて喜ばない男性など存在しないように私の口元もまた緩んでしまっていた。
 ただでさえ普通の人よりも大きな口で生まれた私の口の端がつり上がっていては喜んでいる事が端から見てもばればれであるので私は口が緩むのを必死に堪え、そんな私を見てまた彼女はくすくすと無邪気に笑う。
「どうしたの? 急に面白い顔なさって」
「いえ、公園まで安全にあなたを届けねばと気合を入れている最中でして。この辺は最近車の通りが多くなって怖いですからね」
 無理やりな言い訳を吐きながら私達は公園へと歩を進めた。
彼女と一緒に並んで歩く。
ただそれだけの事に私の心臓は大げさに運動する。
何か気の利いた話をしなければ間が持たない。
昨日は何を食べた?
普段何をして過ごしている?
あたふたと質問責めする私の問いに彼女は笑いながら一つ一つ答えてくれた。
今まで知らなかった彼女を知っていく公園までの道中は、言葉にするのなら幸せ以外の何物でもなかった。
私はだんだんと調子に乗って次々と質問を投げかける。
好きな季節は?
音楽は聴いたりする?
「好きな食べ物は……ってまた食べ物の話をしてしまった」
「お腹が空いてるんですか?」
 彼女が笑いながら聞き返す。
「あ、いえ、そう言うわけじゃ……あははっ」
「ふふっ、おかしな方」
 お互いが笑いあうたび少しずつ空気が和やかになっていく。
楽しい。ただ単純に。
嬉しい。私の話に彼女が笑ってくれることが。
このままずっと一緒にいられたら。
そんな考えが頭を過ぎり私は慌てて頭を左右に振る。
「あら、どうされたんですか?」
「何でも。何でもありません」
 調子に乗って我を忘れるところだった。
この恋は禁断の恋だ。
貧しい暮らしをする私は裕福な豪邸に住まう彼女とつりあう訳も無い。生き物としての格が、種別が違うのだから。
この恋は、片思いのまま終わらせなくては。
どんなに想いを馳せようと私は彼女を幸せにする事など出来ないのだから。
「あ、話し込んでたらいつの間にか公園に着いてしまいましたね」
「あら、本当。お話に夢中で気付きませんでしたわ」
 私が物思いに耽っていると気付かぬうちに公園に到着してしまったらしく私と彼女は互いに驚いた。
公園の中に入った後は彼女のお気に入りのベンチに座り、他愛の無いお喋りをしながら日向ぼっこを楽しんだ。
しばらくすると暖かい陽の光を浴びて心地よくなったのか、彼女が私の体に頭を預ける体勢でお昼寝をはじめてしまったので、私もそのまま昼寝と洒落込む事に決めた。
しかし、私はもともと鼻が利くほうなのでこう距離が近いと嫌でも彼女の香りを感じてしまう。
甘い匂いだ。
恐らく私のような者と違いしっかりとお風呂に入っているのだろう。
やはり生きる世界が違う。
ちくりとした痛みを胸に感じつつも太陽の暖かさに逆らえなかった私はそのまま眠りに落ちた。
起きたとき、辺りはすっかり薄暗くなっていた。
「うーむ。すっかり寝込んでしまった」
「おはようございます」
 ベンチに寝転んでいた私を彼女が見下ろしながら言った。
どうやら彼女の方が先に起きたみたいだった。
結局その後は時間も遅いということでそのまま帰ることになり帰路に着く。
夜には目が利くと自慢げに話す彼女もまた可愛かった。
一方、行きの道で散々質問を投げかけた私はまだ肝心の事を聞けていなかった事を思い出す。
「あの……ですね」
「どうしたのですか? 急に改まって」
「よかったら名前を教えて頂けませんか?」
「あら、そういえば私達今までこんなに顔を合わせているのに自己紹介をしていませんでしたわね」
 彼女が驚いた声でまじまじと私の顔を見つめる。
実は私と彼女がまともに話したのは今日が初めてだった。
それまでは私が門越しに彼女に挨拶をしてはすぐに逃げていたからである。
豪邸前まで帰ってきた私達は歩みを止め、互いに体を向き合わせた。
「私が生みの親から授かった真名はローズ、主様から頂いた名はアネモネですわ。どうぞ好きな方でお呼び下さいまし」
 ローズにアネモネ。どちらも素敵な名だ。
 丁寧に自己紹介を終えて軽く会釈したローズは優しい声で「あなたのお名前は?」と尋ねたので私も不器用なりに彼女を真似て姿勢を正す。
「親から授かった真名はゴン、仮名は大吉と申します。よろしくお願いします」
「……何だか今更自己紹介というのも恥ずかしいものですね」
「……そうですね」
 お互い苦笑しながら恥ずかしげに視線を下げた。
「では、わざわざ家まで送って頂いてありがとうございました」
「あの!」
ローズ、まだ君と一緒にいたい。
アネモネ、今日が終わらなければ良かったのに。
「はい?」
「……また一緒に遊びに行きましょうね」
「ええ、もちろんですわ。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 狭い門の隙間を通り抜けて家の中へと帰っていくローズの背中を見ながら私は何度も頭の中で言い聞かせた。
この恋は禁断の恋。
成就するはずなど無いのだと。
何故なら彼女は猫で、私は犬なのだから。
次の日から私達は毎日のように顔を合わせては公園へ出かけて話をした。
一日ローズの話を聞いては少しずつ彼女に詳しくなり、そして彼女への想いは募っていった。
彼女へ告白できないもどかしさは付きまとったが、それでも一緒にいられる時間は私にとっては幸せで、もうこのままの関係でもいいからずっと傍にいたいなんて考えが私の頭を支配していた時のことだった。
その日は強い雨が降り続け、私は飼い主がアパートの庭に作ってくれた小さな犬小屋で退屈な時間を過ごしていた。
「こんな天気じゃ今日は公園に行けないな」
雨天の空を憎らしげに見つめながら私がため息を吐いていると、恐らく買い物帰りであろうアパートの管理人のおばさんと201号室に住んでいる主婦が世間話をしながら歩いてきた。
「ああもう最悪だわ。あのトラックが思い切り水を跳ねてくれたおかげで買ったばかりのスカートがびしゃびしゃよ」
 不機嫌そうに管理人がぼやく。
「ほんと、最近この辺り車の通りが増えましたよね。ここらの道は狭い所が多いから危ないわ」
何のことは無いただの世間話。しかしこの主婦は次にとんでもない事を口にした。
「今朝も近所の通りで黒猫が車に轢かれてましたのよ」
「まぁ、黒猫の死体だなんてなんだか縁起が悪いわ」
 私の体はすぐに反応していた。
犬小屋を飛び出し、管理人と主婦の間を走り抜け、雨に打たれながら彼女の住む豪邸までの短い道のりを全力で駆ける。
嘘だ。嘘だろうローズ。
「ローズ! 僕だ!」
 豪邸前に着いた私は思い切り叫んだ。
「ローズ! お願いだ出て来てくれ! ローズ!」
 雨に打たれながら何度も何度も彼女の名を叫ぶも豪邸から返事は返ってこない。
「そんな……」
 私は体中の筋肉が無くなってしまったかのようにその場にへたり込んだ。
ローズが死んでしまった。
私の大好きなローズが。
「ロー……ズ……」
 毛深い頬を伝うのは降り続ける雨なのか、それとも両目から溢れ出る涙なのかもはや私には解らなかった。
「まだ君に言っていないことがあったのに……」
 こんな事になるならもっと早く彼女に想いを伝えていればよかった。
禁断の恋などと言って逃げ回っていた自分が情けない。
 ただ後悔をするしかない情けない自分に腹が立ち、私はまた彼女がいつも笑顔で出てきた門の前で惨めに泣いた。
彼女に会いたい。
ただ彼女といつもの様に話し、笑い合いたい。
そう思った時だった。
「あら、どうしたのゴン。そんなにびしょ濡れになって」
 とうとう私の耳は幻聴まで聞こえ始めた。
それも豪邸の方ではなく私の背後から。
「そんなに濡れては風邪をひくわ」
 耳から伝わる彼女の心地のいい声がはっきりと聞こえる。
「幻聴……じゃない!」
 私が勢い良く振り向くと飼い主が持つ動物用のキャリーバッグの中に入ったローズがこちらを心配そうに見ていた。
「ローズ……」
「あらあらどこのワンちゃんかしら。こんなに濡れて可哀想に」
 ローズの入ったバッグを抱えた大柄な婦人は私を見てそう言った。恐らくは動物好きの優しい人なのだろう。この婦人は自分の豪邸に私を招きいれてくれた上に丁寧に毛を拭いてブラッシングまでしてくれた。
「どうして家の前でへたり込んでいたの?」
 居間の暖炉前まで案内されるとそこで待っていたローズから早速質問が飛んできた。
私は恥ずかしながらも正直に話す事にする。
「僕の家の管理人が……今朝車に轢かれた黒猫の死体を見たって言ってたのを聞いて……それで」
 それを聞いたローズが可笑しそうに笑う。
「ゴンったら、この世界にどれだけ黒猫がいると思っているの? 私ならこの通りぴんぴんしておりますわ」
 くすくすと笑う彼女につられ、私の口からも笑みがこぼれた。
「あはははっ、僕って本当に馬鹿だなぁ」
「……ゴン?」
「あはは……ははは……」
「どうして笑いながら泣いてるの?」
「君が……生きている事が……君とまた一緒にいれることが……こんなに嬉しいなんて思わなくて」
 先程とは異なる涙を流しながら、私は必死に声を絞り出した。
「また会えて……本当によかった……!」  
「ゴン……ありがとう」
「そうだローズ、僕の話を聞いてくれるかい」
「なあに?」 
「次に君に会えたら必ずしようと思ってた大事な話しなんだ」
 これはただの恋だ。
私は犬で、彼女は猫だけど私はローズを愛している。
ただ率直に、私は自分の気持ちをローズに伝えた。
黒いドレスを着た私の恋した彼女はにっこりといつもの笑顔を返してくれた。

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