ビルの恋
気を取り直して作業に集中していると、パーテーション越しに本条君が話しかけてきた。

「夏堀さん」

彼の席は、斜め向かいだ。

「今週、特に忙しいですよね」

「うん。
今日も、もう11時だしね

PC画面で、文字色を修正しながら答える。

フロアには私たち以外、誰もいない。

「夏堀さん最近、おしゃれですよね」

本条君はまだ話しかけてくる。私は作業を続けながら適当に返事をする。

「うん」

「何かあったんですか?」

「うん・・・このビルの中で知り合いに出くわす可能性があってね・・・」

そこまで話して、作業の手を止める。

いきなり、何を聞いてくるのだ。

それに、私がいつもより服装に気を遣っていること、気付いていたんだ。

やだ、恥ずかしい。

耳が熱くなる。

「偶然知り合いに?」

好奇心いっぱいの声だ。

「なんでもない。私、いつも服装が適当すぎるから。
気を付けることにしたの。斎藤さんを見習って」

私はもっともらしい理由を言った。

本条君は、ふうんと気のない返事をし、

「スライドの修正、引き取りますよ。
僕は作業の目途がついたので」

と言った。

木曜深夜。

さすがに疲れがたまっていたので、本条君の申し出に甘えることにする。

「ありがとう、助かる。
これ、少しだけどお礼」

デスクに入っていた板チョコを、パーテーション越しに差し出す。

「こちらこそ、いつも手伝って頂いてありがとうございます。
お菓子もすみません」

本条君はチョコを受け取ると、仕事を再開した。


私は身支度を整え、職場を出た。

1階まで降り、エントランスを出る。

振り返って見上げる。

暗闇に浮かぶB.C.Square Tokyo。

伊坂君のいる29階は、まだ明かりが灯っていた。

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