明日も歌う あなたのために


『高梨 湊(タカナシ ミナト)』


そう書かれたネームプレートのかかっている扉を小さくノックして病室に入ると、
その少年はまだ眠っていた。


つい今朝、ここより少し小さな病院から移ってきたってだけあって私物はほとんど置かれていなくて、ベッド横の棚にポツンと家族との写真だけが置かれている。


「高梨さん、おはようございます」


私が名前を呼ぶと、少年はうっすらとその瞳を開けた。


女の子のように白い肌に、長い睫毛。窓から差し込む光を映した栗色の瞳が、
私の姿をゆっくりと捉えた。


整った顔立ち。

だけどこの時の私には、それがどこか寂しげに見えた….……。



「本日昼間の間、担当させていただきます
佐原花菜です。体温と血圧、測りますね」



他の患者にしているようにそう言うと、少年は慣れた様子で体温計を受け取り、脇に挟むと、点滴に繋がれていない方の右腕の袖をまくって私に差し出した。


私が血圧測定を始めると、病室はなんだか静まり返って、気まずい空気になってしまった。




──なんか話そう…なにか……!

患者とコミュニケーションをとるのも看護師の仕事なんだから!



「湊くん……あ、高梨さんは
中学生だよね?」


──しまった………。

つい、子供相手だと下の名前で呼んじゃうけど、中学生にもなるとそうゆうの気に触る時期なのかも……。



だけど予想外に、"高梨さん"と言い換えた私に、彼はクスッと優しく笑った。


「湊くんでも大丈夫ですよ、
前の病院でもそうでしたから」


「そ、そうなんだ」




───笑った………。よかった…なんか優しい感じの子だ。


「中学生2年生だよね?お勉強大変な時期だねー。学校の授業は難しい?」



「……………しばらく行ってないからわかんないです。──でも友達が、難しいって言ってましたよ」



苦笑いを浮かべて遠慮がちに言った、彼の応えにハッとする。



────バカか私は。


手元のPCに入っている湊くんのデータをちゃんとインプットさせておくべきだった。


彼は前の病院に既に3ヵ月入院し続けていたと言うのに、学校の話をするなんて、なんて無神経なんだろう。


───気を悪くしたかな……?それとも傷ついてる………?


おそるおそる彼の顔を伺うと、
彼はあろうことか、笑顔だった……。



「友達のノートとか見ても全っ然意味わかんないです。図形の証明とかもう”そもそも数学なのかこれ”ってなりませんでした?」



「え………っ…!?あ、うん……私も苦手だったよ……」



予想外な反応に、動揺を隠せなかった。




───なんて………明るくて、優しい子なんだろ………。



湊くんの優しいさに感動していたら、いつの間にか検温も血圧測定も終わっていて、私は慌てて記録に入った。



「ちょっとお熱あるけど、大丈夫?だるいとかあるかな?」


「ん?大丈夫ですよ。この部屋日当たり良くてポカポカしてるから、ちょっと火照っちゃいますね」




────あ………、また笑った。



整った、どこか幼げな顔立ちをくしゃっと歪めて、ポカポカな陽射しに照らされた彼の笑顔は、”無垢”って言葉がぴったりで。


本当に眩しいな、と思ったんだ。


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