不思議な眼鏡くん

そのとき、ちづがトイレに入ってきた。
「鈴木主任、おはようございます」

咲は慌てて背筋を伸ばす。動揺しているところを同じチームの後輩に見られたくない。

ちづが咲の隣に並ぶ。化粧ポーチを洗面台に置くと、鏡越しにニコッと笑いかけてきた。

「おはよう」
咲も気を静めて挨拶を返す。

ちゃんといつもの声が出せてるかしら。
いつもの顔になってるかしら。

「今日、寒いですよね」
ちづは何も気づかず、そう話しかけてきた。

「そうね」
咲は雑談しながら、再び髪をまとめ始めた。

鏡の中の自分の顔が、徐々にしっかりとしてくる。

大丈夫、乗り切れるわ。

ふと鏡の中のちづを見ると、咲の方を見て目を丸くしている。

「どうしたの?」
咲は、にやにやするのを止められない様子のちづに尋ねた。

「鈴木主任〜。彼氏がいたんですね」
「え?」

咲は意味が理解できなくて、素っ頓狂な声を出した。

「何? なんのこと?」
「キスマーク、付いてますよ。情熱的な彼ですね」

咲はとっさに耳の後ろに手をあてた。

そういえば昨夜、ここにキスされた。強く。

『また、初めてをもらった』
響の声が蘇った。

「彼氏じゃないわ」
咲は思わず大きな声で否定した。

ちづが驚いて、それから「すごい、主任」と感嘆の声を上げた。

「彼氏じゃない人と、情熱的な夜を過ごすなんて。大人〜」

咲は曖昧に笑って、髪をアップにするのをやめた。

大丈夫だと思ったけれど、やっぱりダメだ。

心臓が痛すぎる。
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