差し伸べた手
新たな生活
亜子は故郷、北海道の地に降り立った。

空港に着くと両親が立っていた。

二人は何も言わずに荷物を持ってくれて亜子の前をゆっくりと歩き出す。

何も聞かずにいてくれる二人の背中を見ながら北海道の空気を懐かしく感じていた。

父親の車に乗り込み外の景色を見ていると心を癒やされる。

どこまでも広がる緑の絨毯と真っ直ぐな道、花々が風で同じ方向に仲良く揺られている。

東京の雑踏やビル群を見て過ごすのはワクワクとしたけど心が落ち着くことは一度もなかった。

時には息苦しくこの全ての建物がなくなればいいのにと思ったこともあった。

苦しいとき、何度か空を見上げたが、東京で見る小さな空は、この北海道の空と繋がっているとは到底思えなかった。

こんな結果になってしまったが、東京での暮らしに後悔はしていない。

変化のある新鮮な毎日、やりがいのある仕事、目まぐるしく変わる流行、田舎では出会うことのない刺激的な人達、北海道に居たままでは味わうことが出来なかった人生で、この地を離れたことでこの地の良さも再認識出来たのも大きかった。

上京しなければこの美しい風景も澄んだ空気も当たり前の物として捉えていただろう。

離れて初めてその良さを感じられたし、大切にしなければいけないと心から思った。

そして懐かしい我が家に数年ぶりに帰ってきた。

その夜亜子の好物がテーブルに並べられていた。

こんなに落ち着いて食事をするのはいつぶりだろうか。

一体東京で何を食べて生活していたのかも思い出せない。

夜遅くに帰っては睡眠を優先して食べない日があったりコンビニでおにぎりや総菜を買って食べていたので特別美味しいとは感じておらず、機械的に身体に取り込んでいたからだろう。

東京には美味しいお店やお洒落なお店が溢れるほどあったのに行く時間もそんな心の余裕もなかったのだ。

ランチも店内で座って食べる時間がもったいなくてテイクアウトをしては会社のテーブルでパソコンを見ながらす
ませていたのだ。

食事の間母親は楽しそうに亜子が小さい頃から知っている近所の人の話や隣のワンちゃんが数年前に亡くなった話、新しいスーパーが出来た話、雪祭りに行った話などをしてくれた。

何気ない会話が亜子には有り難かったし心が和んだ。

父親は黙ってご飯を食べている。

昔から口数が少なくあまり怒られた記憶もないが東京に行きたいと行ったときはなかなか首を縦に振らなかった。

あの時私を上京させたことを後悔しているのだろうか、もしそう思っているならば、あの時行かせてくれてありがとうと言いたい。

上京前から変わらない古い浴場は体も心も温めてくれる。

東京では帰宅時間が遅いのと面倒さもあり湯船につかることもなく、シャワーで済ませていた。

あの慌ただしい日々は一体何だったのだろうとここにいると不思議な感覚に陥る。

やはり東京という町は時間の流れが違うのだろう。
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