差し伸べた手
亜子は入社してから数ヶ月であの田舎で期待していたワクワク感はどこかへいき、淡々と仕事をする日々を過ごしていた。

あれだけ同僚と胸を躍らせて遊びに行った都心もいつのまにか行かなくなった。

毎日倉庫と寮の往復でその建物の外が東京でも東京じゃなくてもどちらでも変わらない生活を送っていた。
 
仕事を認められていつか服を作ったり仕入れたりする仕事をしたいと思っていたあの頃の自分が滑稽でならなかった。

契約社員の分際でよくそんなことを思っていたのかと考えるといかに自分が世間知らずかを思い知らされた。

亜子はこのままではここで終わってしまう、今一度どうして東京に出てきたのか、何をしたかったのかと冷静に考えてみることにした。
 
数日ぶりの休みに寮の一室で一人座り外を眺めている。

この窓からの風景はドラマで見たようなビル群ではなくのどかな田園風景だ。

理想と現実のギャップが大きくて溜息をついた。

確かに洋服には囲まれて仕事をしている。

しかしその洋服は全て綺麗に畳まれて一点ずつビニール袋に入っていて、それらをオーダー表にそってピッキングし箱に入れるだけだ。

直接服に触れることもなく広げることもなく、当初の目的であった仕入なんて夢のまた夢。

夜勤続きで出掛けることもなかったのである程度の貯金はあった。

転職するなら今だ。

一旦田舎に帰ってしまっては二度と上京できない。

会社の寮があるということで渋々了承した両親だったので転職して一人暮らしするなんて言ったらもう出てこられないだろう。

このまま転職して両親には内緒にしてここで働いていることにしよう。

そして都内で家を借りて仕事を探そう。

ここにいて仕事を探すのは遠すぎて非効率だし自分を追いつめないといつまでも時間が過ぎていくだけだ。

そう決意してからは仕事にも身が入った。

会社には田舎へ帰ると伝え退職の旨を伝えた。

元々契約社員だったため契約期間満了ということで継続の手続きをしなかっただけだ。

週末には不動産屋に行き家探しをしてハローワークで仕事をチェックし、一ヶ月後カバン一つで寮を出た。

当初、東京の家賃の高さに驚いたが自分の城を探すという出来事には胸が躍った。

部屋に足を踏み入れたとき、小さな窓からは遠くにビル群が見えた。

ドラマで見た風景とはかなり劣るが寮からの景色を考えたら東京にやってきたという実感が持てた。

荷物を置いて休む間もなくすぐに町に出てネットで探しておいた求人を募集している会社へ面接に出掛けた。

仕事を探すのに時間がかかっては家賃が払えなくなってしまうので前の会社にいるときから面接まで取り付けておいたのだった。

もちろんアパレル関係で求人情報を漁り 「実力次第でお店をお任せします」と書いてあるのに引かれて募集したのだ。
 
若者が集う街の一角にその洋服屋の店舗はあった。

調べたところこの会社は都内に五店舗展開しており若者がターゲットのお店だった。

上京した頃、会社の同期と一緒にお洒落な洋服屋さんにはよく行ったが、店内に入ることが出来たのは一人じゃなかったからで、きっと一人では気後れして入れなかっただろう。

そんな場所で働こうとしている自分が誇らしく、気分は高揚した。

通販会社と違いとても緊張した面接だったがあっさりと終了し明日から来ても良いとの事だった。

あまりにも簡単で拍子抜けしたが今は人手不足なのですぐに来て欲しいという事情のようだ。

何度か転職しようと思っていたがこんなにいとも簡単に見つかるならもっと早くすればよかったかなと思いながら浮き足だって家に帰った。
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