【完】八月は、きみのかくしごと
第十章:『命の期限』


 まだふらふらしそうな足を踏ん張って一歩踏み出す。

 ふと影が出来る。

 視界のなかから奏多の姿が一瞬で消えた。


 ドンッ、という衝撃音とほぼ同時、わたしは誰かの身体にぶつかった。

 
 いや……違う。ぶつかってこられた……?
 
 声にならない声が喉に詰まる。

 ワイシャツを着た男だったと思う。

 サラリーマンだろうか。


 わたしは、すみません、と口にしようとした謝罪の声が出なかった。

 身体中に稲妻が駆け巡ったように動けなかった。


 「いいえ」

 と、男はわたしの心を読み取ったように微笑んだ。

 見下ろすような薄っぺらい笑み。

 男は三日月のように目を細くして、わたしから身体を離す。

 そのとき、口を開けて短く笑った。

 ねっとりとした気味の悪い笑みに首の後ろがざらりと粟立つ。

 まぬけなことに、その男には前歯がなかった。


 「あっ……」

 わたしは声を凍らせた。

 目の周りがぐるぐるして気持ち悪い。

 とても立っていらない。

 ぐらり、と身体ごと崩れていく。


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