外郎売り
外郎売り
第一

拙者親方(せっしゃおやかた)と申(もう)すは、
お立(た)ち会(あ)いの中(うち)に、 
御存知(ごぞんじ)のお方(かた)も
御座(ござ)りましょうが、 
御江戸(おえど)を発(た)って
二十里上方(にじゅうりかみがた)、 
相州(そうしゅう)小田原(おだわら)
一色町(いっしきまち)をお過(す)ぎなされて、 
青物町(あおものちょう)を登(のぼ)りへ
おいでなさるれば、 
欄干橋虎屋藤衛門(らんかんばしとらやとうえもん)、 
只今(ただいま)は剃髪(ていはつ)致(いた)して、
円斎(えんさい)となのりまする。 

元朝(がんちょう)より大晦日(おおつごもり)まで、 
お手(て)に入(い)れまする此(こ)の薬(くすり)は、 
昔(むかし)ちんの国(くに)の唐人(とうじん)、 
外郎(ういろう)という人、我(わ)が朝(ちょう)へ
来(き)たり、 

帝(みかど)へ参内(さんだい)の折(おり)から、 
この薬(くすり)を深(ふか)く籠(こ)め置(お)き、
用(もち)ゆる時(とき)は一粒(いちりゅう)ずつ、 
冠(かぶり)のすき間(ま)より取(と)り出(いだ)す。 
依(よ)ってその名(な)を帝(みかど)より、 
とうちんこうと賜(たまわ)る。 
即(すなわ)ち文字(もじ)には、 
「頂(いただ)き、透(す)く、香(にお)い」
と書(か)いて「とうちんこう」と申(もう)す。 

只今(ただいま)はこの薬(くすり)、 
殊(こと)の外(ほか)世上(せじょう)に弘(ひろ)まり、
方々(ほうぼう)に似看板(にせかんばん)を
出(いだ)し、 イヤ、小田原(おだわら)の、
灰俵(はいだわら)の、さん俵(だわら)の、
炭俵(すみだわら)のと、色々(いろいろ)に
申(もう)せども、 
平仮名(ひらがな)をもって
「ういろう」と記(しる)せしは、 
親方(おやかた)円斎(えんさい)ばかり。 

もしやお立(た)ち会(あ)いの中(うち)に、
熱海(あたみ)か塔ノ沢(とうのさわ)へ湯治(とうじ)に お出(いで)なさるるか、 
又(また)は伊勢御参宮(いせごさんぐう)の
折(おり)からは、
必(かなら)ず門違(かどちが)いなされまするな。

お登(おぼ)りならば右(みぎ)の方(かた)、
お下(くだ)りなれば左側(ひだりがわ)、 
八方(はっぽう)が八棟(やつむね)、表(おもて)が
三棟(みつむね)玉堂(ぎょくどう)造(づく)り、 
破風(はふ)には菊(きく)に桐(きり)のとうの
御紋(ごもん)を御赦免(ごしゃめん)あって、 
系図(けいず)正(ただ)しき薬(くすり)でござる。 
< 1 / 5 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop