君にまっすぐ
その日の業務を終えたあと孝俊はあかりに叩かれた左頬をさすりながら物思いに耽る。

照れたような笑顔を男に向けるあかりを見た瞬間、我を忘れて駆け出していた。
この間、田中と話したあと決めたのだ。
自分の気持は封印する。
彼女に恋人ができ、結婚したとしても祝福すると。

それが男といるあかりを見ただけでこのザマだ。
婚約者がいるような立場で想いを告げてもあかりには嫌われるだけだとわかっていたのに。
気付いたら想いを吐き出していた。
あかりを他の男に渡したくない。
ずっと俺のそばに居て欲しい。
2人で会えなくなって、交わす言葉が減れば気持ちも落ち着いてくるかと思ったが、全くの逆効果だ。
会えない分、話せない分想いが積み重なっていく。

人を好きになることがこんなに厄介なものだとは知らなかった。
しかし、今まで無機質で無感情に生きてきた心がとても満たされている。
この感情を知ってしまうともう知らなかった頃には戻れない。





2日後、珍しく田中から連絡が入った。
電話の向こうで田中は含み笑いをしている。

「坊っちゃん、一昨日の夜にビルの前で女性と揉めていたともっぱらの噂ですよ。」

「あぁ、ちょっとな。」

「ビンタされたそうですね。」

「なっ、そんなことまで噂になってるのか?」

「いえ?それは森山田さん本人から聞きました。」

「…そうか。」

「いやぁ、何年ぶりかに大笑いしてしまいました。」

「お前は俺をからかうために連絡してきたのか。」

「恋愛初心者の坊っちゃんがアドバイスを欲している頃かと思いまして。」

「…。」

「坊っちゃん、あなたはなぜ政略結婚を了承されたのです?」

「それはもちろん、武堂家の人間として当然だと思ったからだ。」

「そこにあなたの意志は?」

「俺の意志がどうであっても、どうにかできるものではないだろ?」

「本当にそうですか?」

「どういうことだ。」

「本当はどうにかできるのではないですか?確認したのですか?」

「確認なんてするまでもないだろ。」

「仕事においてはどんな確認も怠らないあなたがご自分の結婚に関しては何も確認しないのはどうしてですか?」

「確かに確認はしていないが周りも政略結婚だらけだし、それが当然だと思っていたが。」

「周りって誰です?学生時代のご友人ですか?もしかしたらご友人は本当にそういう環境かもしれない。ですが、周りがそうだからあなたもそういう環境だとなぜ思うのです?」

「それはお前、政略結婚をしなくてもよかったと言っているのか?でももう婚約してしまっている。」

「私は坊っちゃんのこれからの行動次第でまだ間に合うと思っています。」

「…間に合うのだろうか。」

「一度ご両親と話をされてみてはいかがですか?ちょうど明後日、日本に戻って来られますし。」

「そうだな。田中、ありがとう。」

通話の切れた携帯電話を見つめる。
ただ言われるがままに了承した政略結婚。
当然だと思っていたし、相手に興味もなかったから今まで関心を寄せてこなかった。
だが、田中の言うとおり思い込みすぎていたのかもしれないと孝俊は思う。
周りの友人達が許嫁がいたり、早くに政略結婚をしていく中で、次は自分だと思うだけでそれから逃れようなどと考えたこともなかった。
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