黒き魔物にくちづけを

「……人間を追い返してくる。エレノア、お前はここで待っていろ」

「え……」

突然の言葉にぽかんとするエレノアをよそに、ラザレスはさっさと部屋を出ていこうとする。言葉通り一人で行ってしまうつもりだというのが分かって、彼女は慌てて声を上げた。

「ちょっと待ってラザレス。相手の狙いはきっと私よ。それなのに、私に何もせず待っていろって言うの?」

今にも見えなくなりそうな背中に投げた声に、ラザレスはぐるりと振り返ってこちらを見た。思いの外強い光の宿った瞳に見据えられて、彼女は思わず一瞬怯んだ。

「……だったら余計だ。危険だと分かっていてお前を巻き込むはずがないだろう。良いか、俺が戻ってくるまで絶対にここから出るな」

予想以上の鋭い眼光に、彼女は二の句が告げなくなった。ラザレスはその様子を見ると、そのまま部屋を出て数歩遠ざかり──しかしそこでふと振り向くと、すたすたとこちらへ戻ってきて、ぽかんとするエレノアの身体をおもむろに抱え上げたのだ。

「え、ちょっとラザレス、何を、」

「やっぱり不安だ。すまないエレノア、しばらくここでじっとしていてくれ」

戸惑うエレノアを抱えたまま、彼はすたすたと部屋の奥へと進む。途中で何かを掴んだようだけど、後ろ向きに抱えられた彼女にはそれが何かまでは確認出来なかった。ようやく彼女が下ろされたのは、石造りのテーブルの横。

目を白黒させるエレノアの右手を掴むと、彼はおもむろに先ほど掴んだ何かを取り出して、彼女の右手首とテーブルの脚を、なんと固定し始めた。
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