黒き魔物にくちづけを

それは、何よりも深い、吸い込まれそうな黒曜色の虹彩だった。濁りの無い黒が、二人の姿を映している。それを見て、夫妻はますます身を縮こませた。

黒。それは、何よりも不吉とされている色だった。

災厄をもたらすからと服などで身につける者は一人たりともいなかったし、絵画にもその色は一切使われない。村の嫌われ者が嫌がらせとして黒いものを贈られることなどもよくあった。とにかく、彼女の瞳を染め上げる色は、それほど忌避されていたのだ。

「……」

二人の反応に確信を得たエレノアは、小さく溜息をついた。経験から、この様子の者に何を言っても無駄だとわかっていた。

「……わかりました。ですが、昨日までの給金だけは頂けますか」

不吉な黒い目をもつから、これ以上雇えない。それは、納得できないけれど理解するとしよう。理不尽この上ないけれど雇い主は彼らなのだから解雇する権利だってある。けれど、これまでの労働の正当な対価を貰う権利くらいあるはずだ。

けれど、彼女がそう言った途端、二人は予想よりも大きな反応を示した。

「……恥を知りなさい、この化け物っ!」

叫んだのは女の方だ。顔を真っ赤にして、彼女を睨めつける。

「そんな目をもった薄汚い化け物の分際で、雇ってもらっていただけでも感謝するべきでしょう!それが、礼を言うでもなく金を要求するだなんて……」

「やめなさい、お前」

ヒステリックに叫ぶ妻に、主人は困ったように言う。その瞳には怯えがありありと浮かんでいるから、エレノアを気遣ってではなく不吉を恐れての行動だとわかった。エレノアはその様子を冷ややかに眺めた。

「その目よ!なんて不吉な!こっちを見ないでちょうだい!不吉が伝染るじゃない!」

「昨日まで、この店のために働いていました。その分の対価を頂く権利はあるかと。頂ければ、二度とこの店の敷居はくぐりませんから」

「……ああもう、うるさいわね!わかったわよ!払えばいいんでしょう!」

エレノアが冷静に言葉を返すと、女はドタドタと店の奥へと入っていく。

やがて戻ってくると、紙の束をエレノアに向かって投げつけた。
< 4 / 239 >

この作品をシェア

pagetop