能ある鷹は恋を知らない
恋心エゴイズム
何が起きてるの。
唇に温かく柔らかい感触。
目の前にいるのは院長。
どうして、キスを。

「ん…っや」

軽く胸を押すとあっさり院長の身体は離れた。
胸の鼓動が耳に響き渡るほど大きく鳴る。

どうして。なんで。

「きみが好きだ」
「…っ」

顔が見れなくて俯く私に院長の優しい声が聞こえて降る。

冗談だなんて言えない。
こんな声で言われたらもう。

顔を上げると諦めたような、哀しい表情をした院長の顔があった。
そんな表情は見たことがない。
息が詰まりそうになった。

「悪かった。忘れてくれ」

頭にポンと手を載せられ、院長はそのまま去っていった。

どうして。こんな。

混乱が頭を支配する。
現実感のない出来事に唇の感触が夢ではないと告げていた。

また傷つけてしまった。

漠然とそんな思いが胸にのし掛かる。
ふと気づくと涙が頬を伝っていた。

「…ごめんなさい」

キスをされても。
好きだと言われても。
傷付けたと分かっても。

それでも好きなのはあの人だった。

なんて、融通の効かないものだろう。

もやもやしていた気持ちが晴れていく。
私も、この気持ちに決着をつけなければ。

涙を拭ってすぐに着替えにスタッフルームに入る。
部屋には舞子と双葉ちゃんが先に着替えていた。

「あ、芹香。ねえ、今日の昼間のって…」
「あれね、院長が縁談を断るために婚約者のフリをしてたの。前にも一度会ってたから」
「そうだったんですね、びっくりしました」
「驚かせてごめんね」
「ううん、それより、用意早いね。この後なんかあるの?」
「うん…ちょっと、大事な用があるの」

結果がどうなっても後悔しない。
私の気持ちを伝えたい。

「分かんないけど、頑張って」
「ありがとう」

スタッフルームを出て院長室をノックする。

「院長…ありがとうございます」

部屋に入った瞬間頭を下げた。
顔を上げると机に座っていつも通りに見える院長の顔。
やっぱり少し胸が痛んだけれど。

「なに、怒ってるかと思ったのに」
「こんな私を想っていただいて嬉しいです。でも、ごめんなさい。私、やっぱり高島さんのことが好きなんです」

言い切って真っ直ぐ院長を見つめる。
院長は、少しだけ笑って言った。

「知ってる。もうほんと真面目でお堅いね、鮎沢ちゃんは。俺の方こそごめん」
「いえそんな…」
「出来れば、ここは続けてほしいけど」
「そんな、辞めるつもりありません!」
「それは良かった。ありがと。それじゃあ行っといで」
「え?」
「決意した顔してるから。会いに行くんだろ」

やっぱり、院長には見透かされる。

「はい。行ってきます。お疲れさまです」
「お疲れさま」

ドアを閉めた手が少し震えていた。
でも、これでいい。

足早にクリニックを後にする。
すぐにエレベーターホールに向かい、54階を目指した。


54階のエレベーターを降りるとすぐにバーに足を向けた。
曲がり角に足を踏み込むと人とぶつかりそうになり、すんでのところで避けて顔を上げた。

「すみません…っ」
「いえ、こちらこそ…ってあなた」
「あ、御堂さん…」

そこにいたのは今日顔を合わすのは二回目になる御堂由加梨さんだった。

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