Sの陥落、Mの発症
引っ張られて来たのは従業員専用のバックヤードで、さらに佐野くんは非常階段の扉に手をかけて中に入った。

「佐野くんっ、こんなとこ入っちゃ…」

注意しようとした瞬間、腕を捕まえられて壁に押し付けられる。

「な、なに…」

少し動けばキスできそうな距離。
目の前の佐野くんはさっきの笑顔の仮面を脱ぎ去り、不愉快そうに眉間に皺を寄せていた。

「なんで樫岡部長と同じ匂いがする?」
「え…」

そう言われてさっきのエレベーターの中での出来事が頭を過り、樫岡くんにキスマークを指摘されたことを思い出して不意に顔に熱が集まる。

弾かれたように佐野くんが首に顔を埋めた瞬間、鋭い痛みが走った。

「痛…っやぁ…っ佐野く…こんなとこで…っぁ」

首に歯が立てられるのが分かる。
その傷を舐めるように舌でなぞられ、腰に響く刺激に力が抜けそうになった。

「こんなとこで?ここじゃなければ良いわけだ」
「ち、ちが…っ」
「今さっき他の男を思い出して赤面したくせに、淫乱」

辱しめるような単語を耳に囁かれ、羞恥が増していく。

嫌なのに。
こんなの、こんなところでこんなこと言われて。
どうして身体が熱くなるの。

自分のはしたなさに目眩がする。
それでも、熱の灯る瞳で見下ろされれば自分の欲望に抗えない。

何も考えられなくなるくらい、キスして欲しい。

その本音を口には出せなくて懇願するように佐野くんの目を見つめる。

「ごめ…なさ…」
「いやらしい顔。誰に見られるかも分からないのに」

顎を持ち上げられてその指で唇をなぞられる。
それだけのことにぞくぞくと背中に痺れが走った。

「でもお預け」
「え…」
「こんなとこで何期待してんの」
「…っ」

咄嗟に否定できないのをからかうように佐野くんは小さく笑った。
勝手にスイッチだけ入れられて振り回される。
自然とうつ向いた顔を佐野くんの手が無理やり持ち上げて目線を合わせた。

「そんなにしてほしいならそっちから誘えよ」

楽しい思いつきを話すように佐野くんが笑う。

「やり方、分かるだろ」

挑発するような目を向けられるが理性のブレーキが行動を制限する。

「できない…」

こんな、誰かに見られるかも知れない場所で。

「そう。ならお遊びは終わりだな。もう二度とあなたに触れることもない」
「…っ」

突き放すような冷たい目に言葉。
顎に触れていた手が離れ、佐野くんが一歩下がった。

もう二度と。
佐野くんに恥ずかしいことを言われたりすることもない。
関係がなくなれば周りの目を気にすることもない。

私を支配するような目が向けられることも。

「先に戻ります」

身体が動いていた。
いつもの好青年の顔で扉に手を掛ける佐野くんの腕を掴み、振り向いたところに自分からキスを仕掛けた。

「ふ…っは、んんっ…」

頬に触れ、拙いキスで訴えるとすぐにそれを飲み込むような口付けに翻弄される。


もうごまかせない。
私は、彼に囚われることを望んでいた。

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