よいシエスタを(短編集)
ふたりの距離

【ふたりの距離】




 女友だちが恋人と同棲を始めるのを機に広い部屋に引っ越すというから、みんなでその手伝いに行った。

 陽が暮れる頃、あらかたの片付けが終わったので、ささやかな飲み会を始めた。

 男子メンバーがハイペースで空き缶や空き瓶を作っていくのを尻目に、友人とわたしはキッチンでおつまみ作り。

 広くて良いキッチンだ。
 リビングも広いし、風呂トイレ別。寝室もベッドやチェスト、デスクや本棚を置いても余裕がある。
 同棲生活から新婚生活に移っても大丈夫だろう。


 それくらい、ふたりの新居は素晴らしかった。
 マンション三階の角部屋。しかも隣室もすぐ下の階の部屋も人が住んでいない。
 築二十年以上だけれど綺麗にリフォーム済み。
 2LDKで各自寝室を分けたおかげで、友人は趣味の裁縫を、彼はプラモデル作りを、思う存分楽しむことができる。


「同棲っていうと同じベッドで寝て、ひとつのコップに歯ブラシ二本さすってイメージがあったけど、完全に分けるのもいいねえ。お互いの生活を尊重してるって感じで。それが長続きの秘訣?」

 何気なく聞いたつもりだったのに、友人は首を傾げて苦笑する。

「まあ、彼もわたしも物作りが趣味なわけだし、寝室一緒にして、もう一部屋はお互いの趣味の部屋にしても良かったんだけどね……」

 しても良かったんだけど、なんて。
 どうして友人がそんな含みのあることを言ったのか。
 分かったのは、それから一時間ほど経ってからだった。


 引っ越し作業の疲れが飲酒と相まって、友人の恋人が寝息を立て始めた。
 リビングの真ん中で、大の字になって、大きな口を開けて。


 その口から漏れるのは、この世のものとは思えないくらいの騒音。

 工事現場のど真ん中にいるような、真横でヘリコプターが飛んでいるような、ライブハウスのスピーカーに耳をくっつけているような……。

 とにかくやかましいいびきだった。

 戸惑いながらみんなに視線を向けると、彼のいびきが音を変える。

 なんなんだこの音は。どうして陸上にいるのに水中のような音が出るんだ。どこの器官をどう使えば良いんだ。
 普段話すときはとても穏やかで、大きな声を出すタイプの人ではないのに、どうしていびきだけこんなにやかましいんだ。


 戸惑い続けるわたしに、友人が「ね、分かったでしょう」というような顔を見せる。


 寝室を分けた理由は分かった。よく分かった。
 でもこんないびきをかいて、身体は大丈夫なのだろうかと心配になった。

 ただひとつはっきりと言えることは、この世のものとは思えないようなあのいびきは、ふたりの恋の障害にはなっていないということだ。

 友人は曖昧に返したけれど、この程よい距離こそが、長続きの秘訣なのではないかと勝手に結論付けて、持っていたビールを飲みほした。







(了)
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