溺愛執事に花嫁教育をされてしまいそうです
執事の花嫁教育レッスン【臨時開講】
駿に挨拶だけすると、
半ば無理やり連れ返されたありすは、
その後ずっと黙っている橘にどうしたものかと迷っている。

ありす自身も正直、謎だらけだった橘の名前が知れたり、
それ以上に衝撃的にキスシーンを見てしまったり、
さらに婚約者がいると聞かされて……。

咄嗟に橘が呼んだリムジンで運転席の助手席に
座ろうとした橘を同じ後部座席に座るように
声を掛けたものの、その後会話することもできない。

ちらりと見上げた先にいる橘は
普通のスーツを着て、リムジンの中で
くつろいでいるように見えた。

普段、橘を執事だと思ってみていたありすにとっては、
普通にスーツを着こなしていることすら不思議で、
改めて橘に普通の生活がある一人の男性なのだと、
妙に意識してしまう。

こうして隣に座っていると、落ち着き払った様子の
橘を見ていると、逆にこういう車に
乗りなれている人のようにも思えて、
ありすはなんだか不思議な気持ちになる。

(そういえば……)
先ほどの婚約者という女性も品がよくてきれいな人だった。

(そっか……そうだよね。当然……)
橘の本当の姿が、今まで知っていた久遠寺家の
有能な執事、だけではないことをありすはうすうす気づき始めていた。

「……ハルヤさんって……言うんですね」
ぽつりとそうつぶやくと、ふっと橘は瞳を細める。

「私の名前ですか? ええ、そうです」
「お名前、初めて知りました……」
ありすの言葉に、橘は柔和に笑みを浮かべた。

「そうですか。失礼いたしました。
執事に、ファーストネームなどはいりませんから
名乗っておりませんでした……」

慇懃にそう言われてチクンと胸が痛む。
プライベートなことなど一切話してくれない橘に、
自分は距離を置かれているのだ、と
気づかされて、そのことが切ない気持ちになるとは、
ありすはまだ気づいてはいない。

「……結婚……されるんですか?」
婚約者がいると聞いて、それもすごく気になっていて、
気づけばつい、もう一つ尋ねてしまっていた。
「いえ、私は結婚する気はありません。
それは私のプライベートな問題ですので」

淡々と返されて、ありすはまた会話の接ぎ穂を失う。
そうしているうちに、車はあっという間に家に戻り、
ありすは部屋に一度戻り、部屋に一度戻る。

「お嬢様、後でお茶をお部屋にお持ちしましょうか?」
その言葉に小さくうなづく。
さっきまでお茶を飲んでいたけれど、途中で退座してしまう形になり、
慌てて駿から教えてもらっていたメールアドレスに
お詫びのメールを送った。
< 56 / 70 >

この作品をシェア

pagetop