ゲームオーバー
ゲームオーバー
 無力感。虚脱感。他にも当てはまる言葉はあるのだろうが、すっと思い浮かぶのはせいぜいその程度だった。今自分が感じているもの、それを表す言葉を探してみる。しかし、先程の二つ以外を思い浮かべようとする、その気力すら起こらなかった。
 母親のお腹にいる胎児のように、小さく身体を丸めて布団に入っていた。
 薄く目を開ける。分厚いカーテンと窓枠の隙間から射し込む薄明かりだけが、ぼんやりと部屋の輪郭を浮かび上がらせている。おそらく夜が明けつつある時間なのであろう。しかし、時計を確認することすら途方もなく億劫に感じた。目を開けていることさえ煩わしく思い、再び瞼を閉じる。
 するべきことはいくらでもあったし、そしてそれらはさして難しいことでもないはずだった。しかしその無力感のようなものは、それらを達成する機会をことごとく奪っていた。
 別に他人に身体の自由を奪われているわけでもなければ、自ら動かないと決めたわけでもない。どちらかと言えば金縛りに近いかもしれないが、動きたくても動けないという、心霊体験のようなものとも違っていた。
 それは電源を入れたゲーム機から、コントローラーだけを奪ったようなものかもしれない。確かに稼働はしているが、それ以上物語が進むことはないRPGゲーム。二頭身の主人公は、行進するかのように手足を動かしているが、どちらに進むことも出来ない。
 
 その様なことをかれこれ一週間ほど続けていた。ほとんどの時間を布団の中で過ごした。もちろん腹が減れば食物を口にするし、トイレにも行く。真冬であったし運動することもないので、さほど汚れはしないものの、不快に感じれば風呂にも入った。屋外で飼っている大型犬には、水と食事を与え、糞の始末をした。一度夜の8時頃にスーパーマーケットに出掛け、半額シールの貼られた刺身パックを見付けたときは少し心も弾んだ。
 しかし、ただそれだけだった。
 
 頭の中では、この繰返しから抜けなくては、と感じている。前に進まないと、と焦りが募る。だがそう思うと決まって、自分の中のコントローラーが、どこかに消え失せてしまうのだ。
 今日もまた、テレビ画面の中の主人公は、ピクリとも動かない。
 もしゲームが対戦アクションゲームであれば、無抵抗のまま敵に滅多打ちにされ、ゲームオーバーなんだろうな、と想像する。シューティングゲームでも同様に敵にやっつけられるだろうし、リズムゲームであれば時間切れでゲームオーバー。様々なゲームオーバーのパターンが思い浮かぶ。
 
…ゲームオーバー。

 なるべく周りに迷惑をかけないゲームオーバーの方法って、あるのだろうか。このつまらないゲームを終わらせる方法…。
 そんなことが頭を思い巡り、渦巻く。
こんなこと考えてはいけない、当然そう思うのだが、またすぐにゲームオーバーについて考えている。頭の中の渦が大きくなり、嵐のようになる。不思議なことに、音は聞こえない。
 声のひとつでも出れば、この嵐の中から抜け出せそうなのに、しかし声を出すことはおろか、指先ひとつ動かない。
 悪い夢を見ているんだ。
 そう思って、映画の登場人物のように、「ハッ」と急に悪夢から覚める自分を思い描く。だが実際には、現実の自分どころか頭の中の自分ですら目覚め起き上がることはなかった。
 そのもどかしさに、声が漏れた。
 呻き声のようでもあり、やる気の無い返事のような声だった。しかし、その声には、期待していたような嵐を止ませる力はなかった。力の無い声に、自分自身が落胆して諦めてしまったようでもあった。そして、もう一度声を出す気力すらも失われてしまった。
 しかし幸いだったのは、その落胆と同じように、頭の中の嵐も勢力を弱めたことだった。次第に勢いは弱まり、先程までの混沌が嘘のように、今度は静寂に包まれた、無風の湖面が思い浮かんだ。湖面には周りの森や、空に浮かぶ月が鏡のように美しくすら写っていた。
 台風の目?
 穏やかな気持ちになり、ふっと何かが自分から抜け出た感覚があった。
 少しずつ、身体中の神経に電気が回っていく感覚がある。大きな教室の照明のように、スイッチを入れると部屋の奥から順番に電気が点いていく。そんな感覚だった。目がゆっくりと開いた。次に指先がじわりと動いた。
 声も出た。先程出たものとは違ったその声は、人間に虐げられた化け物が何百年もの封印から解き放たれた時のように、雄叫びとも、嘆きともつかない、どこか哀しみを含んだものだった。
 どうしてまたこの世界に戻ってしまったのだろう、そんな哀しみのような。

 もしあの時、台風の目から外れ、また再びあの嵐の中に戻っていたら、どんなゲームオーバーのシナリオを選んでいたのだろう。
 窓の外では風が強く吹いている。
 今夜もまた、嵐が来るのだろうか。
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