キス税を払う?それともキスする?
 南田は自分の力の無さを否応なしに感じて奥村に申し訳ない気持ちだった。

 もし自分があの子の上司だったら、ここまでなるほどに残業させるものか。

 しかしそれは一社員のしかも2年目の下っ端では希望が通るはずもなかった。

 無謀だと思いつつも部長に直訴する。

「先ほど倒れた奥村さんのことでお話が。」

「あぁ。どうした。ここでいいだろう?」

 ここで…。

 彼女は僕のような者と関わっていることが社内に知られない方がいい。

 こんなところで残業が多いことを可哀想だと訴えてしまったら変な目で見られるのは彼女だ。

 考えあぐねて南田は作り話を口にした。

「認証機械のような重大案件を彼女のような新人に任せるのは、どう考えても…。
 それでそのことで彼女と議論してしまいました。」

「新人では荷が重すぎると?」

「はい。知的探究心から彼女に専門的なことを質問したところ泣き出してしまいました。
 この設計は彼女には負担になっていると思われます。」

「そうか…。今後考慮に入れよう。」

 これでは駄目だ…。

 部長の態度に何も変わらないことを悟ると、一礼して席に戻ることにした。

 途中、奥村の友人がこちらを見ていたことに気づき「秘密裏に」と声をかけた。

 南田は改めて自分の無力さに肩を落とした。

 定時になると、はやる気持ちを顔に出さないように努めて医務室に急ぐ。

 先ほどの看護師に、頼んだわよ。と声をかけられた。

 女性が寝ているのに男の僕に頼むなど安全面は大丈夫なのだろうか…。

 不信感を抱きながらもベッド近くの丸椅子に腰かけた。
 穏やかな顔で眠っている奥村に安堵して、ホッと息を吐く。

 それなのに次の瞬間につらそうに僅かに顔が歪んだ。
 何か声を発している。

「ん…。ヤダ…。南田さん…。」

 な…。僕?

 みるみるうちに顔が熱くなるのを感じる。
 耐えきれず口元を手で覆う。

 反則だろう。その寝言…。

 冷静を取り戻そうと、何度も息を吐く。
 その間にも似たような寝言を繰り返している。

 南田は自分の気持ちに抗えず、スマホを手にした。
 カメラを起動させ動画モードで録画する。

 これは盗撮だろうか…。
 しかし…この寝言は僕へのものだ。

 自分の行動を正当化すると、奥村の頭を撫でる。
 柔らかい髪にドキッとしながらも寝ている奥村に話しかけた。

「大丈夫だ。心配しないで。大丈夫だから。」

 何がどう大丈夫なのか分からないが、とにかく奥村を安心させたかった。

 南田の声かけに、歪んでいた顔はまた穏やかな寝顔に変わって満足する気持ちだった。
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