プラス1℃の恋人
 オフィスに入ると、ひんやりと涼しい空気が頬に当たった。
 体感温度がいつもより低いような気がする。

 恐るべし鉄剤注射効果、と思ったけれど、よく見れば社内の様子が昨日とは少し違っている。

 自分の席だったはずの場所には、なぜか営業の二階堂が座っていた。
 ゆうべの残業のときに会ったイケメン腹黒王子である。

「須田さん、昨日は大丈夫だった?」
 
 ゆうべのこともあり、キラキラの笑顔があざとく見える。

「朝イチで席替えがあって、須田さんのデスク、こんど僕が使うことになったから。あ、中身を入れ替えてくれたのは桃ちゃんだから安心して」

 オフィスのなかを見渡すと、だいぶ様変わりしていた。あちこちで席の入れ替えがあったらしい。

「言っときますけど、暑いですよ、ここ」

 遠く離れた場所にあるエアコン。
 日差しがふりそそぐ大きな窓。

 けれど二階堂はニコニコ笑っている。

「大丈夫。僕、暑いの平気だし。それにこういう場所は、外回りが多い営業に割り当てとけばいいと思うよ」

 けれど、彼が笑顔になっている本当の理由を青羽は知っている。

 この場所からは、事務の席がよく見えた。
 二階堂は桃子狙いなのだ。

 チャンス到来、好感度アップとばかりに、キラキラ笑顔も2割増しになっている。

 あー、こわいこわい。

 桃ちゃんに「気をつけて!」と忠告したい。
 けれどこっちも弱みを握られているため、迂闊なことは言えない。


 青羽の新しい席は、北側の壁際だった。
 席に着くと、いままでと同じオフィスなのだろうかと疑ってしまうほど、涼しくて快適である。

 エアコンからは離れているはずなのに、風が来る?
 けれど書類が吹き飛ぶほどの風ではなく、空気の通り道にいるような、穏やかな風の流れだ。

 よく見たら、オフィスの床には大きなサーキュレーターが設置されていた。
 昨日まではなかったものだ。

 このサーキュレーターがエアコンの冷たい空気を拡散しているらしい。
 そして壁にあたった冷たい風が、ちょうどよく青羽の席に流れ着く仕組みになっていた。

 ――快適!

 これなら夏場の仕事もはかどりそうだ。
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