プラス1℃の恋人
 ――でも、なんで私、ジムのベンチなんかにいるんだ?

 そもそも、一緒にジムに入会しようという紫音の誘いは断ったのだ。

 熱中症体質の改善には、ジムで汗を流すのがいちばんだとは思う。
 だが、なにしろここは、とんでもなく会費が高い。

 上層階で働く高収入の連中にとってははした金だろうが、ミドルフロアの女子社員にとっては、だいぶ懐にひびく。
 玉の輿にのるまえに、破産してしまう。

 だったら夢なんか見ないで、地に足をつけて現実を生きたほうがいい。

 それは紫音も同じだったようで、「入会金で、おいしいもの食べたほうがいいよねー」と、セレブの世界に笑顔でバイバイした。


 それによく見れば、ここはジムのシャワー室にしてはなんだかチープだ。

 5階のフィットネスジムでは、間違っても、ハンドソープのボトルが買ったままのパッケージで置かれているなんてことはなかった。

 ――男子更衣室には、シャワーブースがあるんだって。

 そんなセリフが頭の端でよみがえる。
 もうひとりの同期、事務をしている和宮桃子《かずのみやももこ》から聞いた情報だ。

 女子更衣室には広いパウダールームがあり、そのかわり男子更衣室にはシャワー室があるという。

 汗臭く、会社に泊まり込むこともある男性社員がシャワーを使い、休憩時間や退社時に化粧を直さなくてはいけない女性がパウダールームを使う。

 なんて合理的。
 ついでに、クールビズなんかもやめてくれたらもっとよかったのに。


 ――うちのフロアの更衣室なら、こんなかんじかな。

 ミドルフロアでも、右肩上がりの成長率を誇る、上場企業の集まりだ。
 でも、そうなると、青羽が寝ている場所は男子更衣室ということになる。
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