戸惑う暇もないくらい
那智がどれだけ早く出るのか分からなかったが、顔を見て見送ろうと決めていた。
いつ那智が起きるのか分からないと思うとなかなか寝付けなかったけれど、廊下で物音がした気がして飛び起きる。

「那智…っ」

慌てて寝室を飛び出すと、玄関で靴を履いて出ようとしていた那智が振り返る。
少し驚いた顔をしていた。

「那智…身体に気をつけてね」
「葉月…ありがと。行ってくる」

那智はふわりと笑ったがどこか困ったような笑顔にも見えて胸が苦しくなった。

「行ってらっしゃい…」

誤魔化すように笑って手を振った。
すぐにバタンとドアが閉まる。

少しでも那智の顔が見れた安心と、数日別れるのに短すぎる挨拶への寂しさと心の晴れないもやもやが複雑に絡み合っているようだった。


『お疲れさま。こっちは順調です。あと2日で帰るから』


そんな連絡が来たのは那智が撮影のために長野県に出発してから三日後だった。

その間に一度も電話はしていない。
那智のスケジュールが分からなかったし、極力負担になりたくなかったからだ。

ただ、毎晩一度だけ連絡を入れていた。

『無事に着いた?撮影頑張ってね』

『お疲れさま。こっちは雨です。身体に気をつけて』

『撮影はどう?返事ないのに送ってごめんね。お仕事頑張って』

返事のないままだった間は落ち着かなかったが、ようやく来た連絡を見てほっとした。

那智が帰ってきてくれる。

それだけのことに心から安堵していた。

早く会いたい。

抑えていた気持ちが急に溢れ出てくるような気がした。
那智が帰ってきたら、この間のことをもう一度謝って素直な気持ちを伝えよう。
もう二度と那智を不安にさせないように。
そう決めるとなんだか急にすっきりして胸の支えが取れたような気がした。

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