今晩、なに食べようか
第五話「そんなのいらないでしょ」
 待ちに待った水曜日。
 今日は週に一回の休みだ。
 私は、いつもより一時間遅めに設定したアラームで目覚めた。スマホの画面を見て、時間と曜日を確認する。間違いなく、水曜日の朝七時だ。

「……いい朝」

 大きく伸びをして、あくびとともに呟く。
 いつもなら二度寝をしてしまうところなんだけれど、今日はせっかくだからこのまま体を起こしてみる。
 裕樹が夕飯を作ってくれるからか、そこまで疲れずに月曜火曜も乗り切れた。月曜火曜は接客よりも、事務作業が忙しいのだ。土日動けなかった銀行関係や、休み前に片付けておきたい細々としたことが溢れかえっているから。
 いつもはそういった諸々をやっつけて、ボロボロになって水曜日の休みに入るから、正直言って動く気になるのは昼を過ぎてからなのだ。寝溜めできないことがわかっていても、日頃六時に起きているのだから休みくらいたくさん寝てもいいじゃないか、みたいな気持ちになってしまう。
 でも、今日は不思議と朝から気力がある。せっかくなら、どこかにでかけたい気分だ。
 裕樹が来ているのだから、太宰府天満宮とかに足を伸ばしてみるのもいいかもしれない。大学生と社会人が学問の神様に一体何をお願いするのかという気もするけれど、近場で観光するならあそこはうってつけだ。
 それか、水曜日といえばレディースデーだ。今上映中の映画をチェックして、観にいくのもいいかもしれない。裕樹も学生証があるから少し安く見ることができるし。学生証もレディースデーも、使えるときは使って得をするべきだ。
 この時間に起きたのだから、色々したいことができる。体力回復に努めなくてもいい休日というのは、すごく贅沢だ。
 どこに行くか、何をするか、朝食をゆっくり作りながら私は考えた。


 
「裕樹、朝だよ。今日は私、休みだから、ご飯食べたら遊び行こうよ」
「え……うん、わかった。おはよう……うん、わかったから」

 たっぷり時間をかけて朝食の支度をした私は、まだ眠っていた裕樹を起こしにかかった。すっかりこの家と私の気配に慣れたらしく、裕樹はもう横を通りかかったくらいでは起きなくなってしまっていた。
 だから私は乱暴にならない程度に、裕樹の体を揺さぶり続けた。返事は立派にするけれど、この細い目が開くまで信用してはいけないのだ。


「何、この卵サンド、辛い……」

 まだ眠そうな顔をして食卓についた裕樹が、サンドイッチを一口食べて目を見開いた。

「辛子マヨネーズをあえてあるの。ほら、サンドイッチのパンに辛子とマーガリン塗ってあるやつあるでしょ? パンに塗る代わりに辛子マヨ使ったの。辛子嫌いだった?」
「ううん、うまい。でも、知らずに食べるとびっくりする」
「ならよかった」

 普段の朝食ではなかなか作ることができない卵サンドと、茶葉から淹れた紅茶を食卓に並べてみた。どちらも時間がないと用意することができない。でも、時間をかけて作って時間をかけて食べると、それだけで休日を満喫しているという気分になってくる。

「はー……紅茶もうまい。何か、こういう丁寧に淹れた紅茶飲んじゃうと、ペットボトルのお茶には帰れないなー」
「まあ、ペットボトルのはかなり甘くしてあるからお茶って感じしないしね」

 こだわって選んだ甲斐があって、日頃茶葉から淹れるお茶を飲み慣れていない裕樹も気に入ってくれたらしい。
 今日淹れたのは、ルピシアの『クッキー』というフレーバーティー。本当に茶葉の中に砕いたクッキーがブレンドしてあって、甘い香りがミルクティーにするのにぴったりなのだ。お気に入りのフレーバーは色々あって、蜂蜜の香りがする『ネプチューン』や変わり種の『杏仁豆腐』なんかと迷ったのだけれど、焼き菓子が好きな裕樹には『クッキー』で正解だったらしい。


 ***

 それから私たちはサンドイッチとミルクティーの朝食をのんびりと食べ、その食器を片づけて、出かけることにした。
 結局、行く先は天神。
 太宰府天満宮は普段からただでさえ人が多いのに、今の時期は外国人観光客と夏休みの家族連れでごった返しているのでは……という懸念が出たため却下された。
 映画は、高いお金を出して映画館で見たくはないと言われてしまった。映画一本分のお金で吉祥寺なんかで演劇を見ることができると言われてしまえば、確かに裕樹にとっては価値がないかもしれない。
 というわけで、無難に天神へ行く。暑いときは、やっぱり地下ダンジョンに限る。


「姉さん、休日って感じだね」

 着替え終えた私を見て、裕樹が感想を述べた。日頃のオフィスカジュアルと比べると、確かにギャップがある。
 今日の私は、麻のゆったりとした七分袖のワンピースを着ている。オフホワイトというより生成と表現したい優しい色合いがお気に入りの一枚だ。
 私は部屋の雑貨同様、ナチュラルでどこかレトロな服が好きだ。このワンピースも、アンティークレースやヨーロッパの古着を多く取り揃える店で一目惚れして買った。

「裕樹は……あんまり服、持ってないんだね」
「だって、オシャレして行くところなんてないんだもん」
「よし! 今日、何かいいの買ってあげる」
「ありがと」

 裕樹は相変わらずのTシャツにジーンズだった。おそらくシャツもジーンズも何枚かでローテしているのだろうけど、それに気がつかないくらい代わり映えしないワードローブだ。
 私は今日ある程度、裕樹の服を見繕ってやると決めた。高くなくてもいい。手持ちの服にプラスするだけでちょっと見栄えが変わるものを用意してあげたい。
 月に何万円も服にお金を使ったり、それこそブランド品ばかり買うような男の子になって欲しいわけではないけれど、それでも弟には少しはオシャレでいて欲しいものだ。
 若さと爽やかさが何とか今の服装でも見られるようにしてくれているけれど、そんなものはいつまでもあるわけじゃない。
 だから私は姉として、裕樹がおっさんになってからも服装で困らないように、今から口を出しておこうと心に決めた。

 

「あー……高い服汚さないか心配なんだけど」
「大丈夫。汚れたら洗えばいいのよ」
「でも、洗濯にも気ぃ使うよ……」
「大丈夫。エマールが助けてくれるから」
「うぅ……」

 お昼ご飯を食べるために海鮮丼の美味しい店に入ってメニューを見ながら、裕樹は落ち着かない様子でしきりに自分の着ているものを見ていた。
 それは、さっき私が買ってやったものだ。
 ファストファッションの店で何着か買ったあと、私は裕樹をデパートの紳士服のフロアに連れて行った。まだデパートで買い物などしたことがない裕樹はずっとそわそわとしていたけれど、私はそこでポロシャツを一枚買ってあげた。
 悩んだけれど、無難な店で選んだ。大学生の男の子が大好きなブランド、と私が勝手に思っているブランドだ。
 シンプルな黒いポロシャツなのだけれど、襟にさりげなくチェックの縁取りがあって可愛い。今日履いているジーンズとも合いそうだから、試着室で着替えさせてもらった。
 案の定、それは裕樹によく似合って、彼を一段階上等な男の子に見せてくれている。これなら、もし彼女ができてもすぐにデートに行けると思う。
 けれど、一万円ちょっとのそのポロシャツは、とにかく裕樹を落ち着かなくさせるらしい。

「ポロシャツ一枚でそんなに緊張してどうするの? これから就活で使うスーツのほうが、よっぽどこれより高いんだからね」
「あ、そっか」

 私の一言であっという間にポロシャツの値段が気にならなくなったらしい裕樹は、マグロの漬け丼を食べることにしたらしい。さっきまで「これ、醤油はねるかな」などと言っていたのに。
 私は普通の海鮮丼を頼むことにした。マグロとアボガドの丼と迷ったのだけれど、やっぱりウニが諦められなかった。それに、マグロは裕樹からもらえばいい。


 昼食後は、裕樹のご飯茶碗を求めてKitchen Kitchenに足を伸ばした。他のお皿はいいにしても、ご飯茶碗だけは自分のものが欲しいと言い張ったからだ。
 いつ来てもこのお店は手頃な値段で可愛いものが溢れているから、来るたびつい何か買って帰ってしまう。今回も裕樹の茶碗の他に、「そんなのいらないでしょ」と言われたけれど試験管のような形のスパイスボトルを買ってしまった。
 私の買ったものにはそんなことを言ったくせに、裕樹もちゃっかり透明なガラスの蓋つきの容器を買っていた。裕樹曰く、飴を入れるらしい。飴なんてそんなに舐めないくせに。

 それから私たちは天神をあとにして、近所のスーパーで買い物をした。
 今夜はハンバーグにするつもりで、ひき肉や玉ねぎを買い足した。ピーマンとトマト缶も買ったから、たぶん裕樹はピーマンの肉詰めとミートソースも作る気なのだろう。
 頭の中でこれを買うと何と何を作れる、ということを考えながら買い物ができる人とスーパーに行くのはやっぱり良い。
 前に元彼とスーパーで食材の買い出しをしたときは、あまりに無計画にカゴに何でも突っ込むから、ぼんやりと「この人とは結婚したくないな」と思ったのだ。
 結婚相手を選ぶとき、そういった生活の基盤となる部分の考えた方が合うか合わないかが大事だと思う。元彼は浮気っぽいこと以上に、食材を余らせる無計画な買い物をすることのほうが罪深い奴だったと今なら思う。安心して一緒にスーパーを歩けない男とは、きっと結婚しないほうがいいのだ。
 その点、裕樹は夫候補として堂々とオススメできる子だと胸を張って言える。まだこの子の良さをしっかりとわかる女の子はいないようだけれど、周りの女の子たちがもっと結婚というものをリアルに感じるようになれば、きっと裕樹は引く手数多になると思う。
 ……もしかしたら、そう思うのは姉の欲目かもしれないけれど。
 それに何より、裕樹が結婚を幸せと感じるかどうかわからない。
 私もそうだけれど、親の生き方を見て、結婚という選択が果たして自分にとって正解かと考えることもあるだろうから。

 
 私はあるとき気づいてしまったのだ。
 好きな人がいても、彼氏がいても、自分がその先に結婚というビジョンを持っていないことに。
 それを親のせいにするつもりはないけれど、同じ環境で育った裕樹が私とその部分で似ていても何も不思議はない。


  ***

 帰宅して、二人でハンバーグのタネを丸めているとインターホンが鳴った。
 モニターで確認した裕樹が「男が立ってる」と言った。何か宅配便が届く予定はないから、セールスか何かだろうと思ったのだけれど、裕樹の様子を見る限り、どうも違うらしい。それは明らかに不審者を見る感じだ。小さな頃に教えた通り、裕樹は受話器すら取るそぶりすらない。
 気になって、私も手を洗ってモニターを覗きにいって、びっくりした。
 そこに立っていたのは、浮気ばかりして面倒くさいから別れた、あの元彼だったのだから。

「……誰?」
「元彼」
「え⁉︎」

 放っておくとまだしばらく鳴らし続けそうな気配だったため、私は仕方なく受話器を取った。
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