さんばん星
タイトル未編集


いつからだろう。
もう思い出せなくなっていた。
それはきっと私が見ない振りを、知らない振りを続けてきたせいだ。
もっと早く向き合っていれば、話し合っていれば、何か少しでも変わったのかな――







最近、彼は話さなくなった。
最近、彼は私を見なくなった。
最近、彼は私の前で笑わなくなった。


気まずい帰り道。
盛り上がらない会話。
苦しい時間。
それでも私は彼と一緒にいたかった。
隣を歩いていたかった。
楽しい場を作ろうと必死に足掻いてみても、彼は応えてはくれない。
そんなことは、十分なほど思い知っている。
それでも繋ぎ止めようとするこの手を離してしまえば、彼はすぐにでも私の前から消えてしまうだろう。
私がこの手を伸ばしている間はきっとまだ、側にいてくれる。
優しくて残酷な、私の思い人。
彼――駒井敦(こまいあつし)。



「あっくん。送ってくれて、ありがとう」


「じゃあな」




“またあした”



いつからか言えなくなった言葉があった。
その明日が、いつか来なくなることを私はわかっていた。
だから、怖くて言えなかったのだと思う。
去り行く背中を眺めて思う。

手離したくない、と。
そして手離さなければならない、と。


彼はとても優しい人だから、私と同じようにきっと苦しんでいるに違いない。
言動には何も出さないけれど、私にはわかる。
だってずっと側にいたのだから。
未だに、私を傷つけまいとする方法を探している。
だけど、そんな都合のいい方法なんてどこにも存在しない。
彼が別れを選んだ時点で、私はどうしても傷つくのだから。
そしてその理由はそれ以上に酷い。
酷くて、胸が張り裂けるほど痛かった。



朝の登校はいつもバラバラだった。
学校でももちろん会わない。
そのことに、ほっとしている私がいた。
友達といる彼はとても楽しそうだった。
よく笑い、よく話す。
私のよく知っていた以前の彼だ。
そして、付き合い始めた頃を思い出す場面に出会す。
それが一組の伊藤未来(いとうみく)といる時だ。

多分、彼の好きな人。
懐かしくて羨ましくて、つい目を伏せてしまう。


(誰にも渡したくない。側にいたい)


独りよがりでしかない思いは、私をがんじがらめにした。
苦しかった。
彼の笑顔を思い浮かべるほど、つらかった。
そして思い知る。
私の目の前には、もうその笑顔がないこと。
私が消していた。
私の存在が彼の笑顔を奪っていたのだ。
好きだったものを私自身がーー



「あのね、あっくん」


「なに?」


「久しぶりに、公園寄ってかない?」


努めて明るく、そして自然に誘ったつもりだ。
言葉にすれば、こんな誘いを自分からするのは初めての気がした。
思えば、告白もデートのお誘いもいつも彼の方からだった。
私はいつも与えられてばかりの、受け身だった。


返事を待つのが怖かった。
断られたら、と思うと足がすくんだ。


「いいよ」


遅れて彼が返事をしてくれた。
よく寄り道した公園。
たくさんの思い出が詰まるこの場所で、私は今日この恋を終わらせる。
温かい数々の思い出の後押しを借りて、新たな一歩を踏み出す。


「あっくん。もう、終わりにしよう」


「莉菜(りな)……」


久しぶりに呼ばれた名前は、初めて呼ばれた時のようにドキドキした。
だけど、違うのは少し悲しいこと。


「ごめんなさい。なかなか言い出せなくて」


「違う。莉菜は悪くない。悪いのは全部、俺でーー」


私は笑顔を貼りつけたまま言った。


「どっちが悪いとか、悪くないとかじゃないよ」


付き合っていても、他に好きな人ができることは誰にでもある。
好きの気持ちは、自分の意思でどうにかなるものでもない。
彼はそれにずっと蓋をし、私を愛そうとしてくれたのだ。
そして私もそれにすがりついた。
だけど、偽物は所詮偽物。
そこに本当の愛もなければ、幸せもない。


「莉菜。こっちに来て」


落ち着かなくて、彼が腰をおろしたベンチに私は座らないでいた。


「莉菜、最後のお願いだから」


唇が手が、震えてしまいそうだった。
ひきつる笑顔で私は、頷いた。


「あっくん……」


彼は私の髪を掻き分けると、頬に手を添えた。


「髪、切ったんだな」


「うん。ちょっと前にね」


「綺麗になった」


「……ありがとう」


昔はよく言ってくれた、かわいいの台詞。
綺麗は今日、初めて言われた言葉だった。


(少しは変われたのかな。私、逞しくなれたのかな)


あなたが最後にくれた“綺麗”の一言で、私は背筋を伸ばして歩いていけそうな気がする。


「莉菜のことは、好きだったよ。今までありがとう。元気でな――」


本当に彼は最後まで優しい人だった。
少しくらい嫌な奴になってもいいのに、と思った。
そしたら私も救われるのに。
きっぱりと諦められるのに。


「あっくん!」


「ん?」


「またあした」





今はまだつらい。
だけど、見えない鎖は切れていた。
ようやく解き放たれた気がした。


(明日会ったときは、挨拶でもしてみてようかな)


軽くなった髪の毛に触れ、私は明日の私を想像してみた。

大好きな彼に、元気に挨拶をする。
そしたら、彼は一瞬驚いた顔をするのだ。
そしてそのあとは、いつもの笑顔で返してくれる。


“おはよう”


(おしまい)
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