意地悪な彼の溺愛パラドックス
(……リオって誰?)
リオは遼が大好きで、遼がかよと怪しいことは言われたくない、とな。
このとき、私の脳裏には残虐すぎる仮説が浮かぶ。
仮説のままで終わらせた方がダメージは少ないと本能が告げるのだが、戸に手をかけたまま身体はフリーズしている。
その間にもふたりの会話は進み、私の聴覚はすべてを取り込んだ。
「遼はリオに敵わないよね」
「それはもう宿命だろ。大和もじゃん」
「まぁね。あ、今日から実家行くって言ってたな」
「あぁ、デカイ腹してフラフラしてるから気が気じゃないだろ? もういつ産まれるかわかんないんだし行けばって。俺が言ったんだけど」
「ナイス遼。さすがに心配だよね。近いんだからずっといればいいのにな」
「大和くんよ、旦那の実家は居づらいらしいぞ?」
「そうか?」
「でも子供は喜ぶだろ」
「遼は本当にメロメロだよな」
「かわいくて罪って、こういうことだと思った」
「溺愛しすぎ」
また大和くんの笑い声がする。
手がかりからできた式を丁寧に計算すると、導かれた結論は。
遼+リオ+子供+二人目=家族。
「なにこの絶望」
私は力が抜け落ちてその場に膝をつく。
床も抜け落ちたかのように、足もとは真っ暗だった。
「馬場ちゃん? そんなところに座って、どうしたの?」
私の五感が機能していなかっただけだと思うが、気配もなく現れたのは柏木マネージャーの愚痴を言っていた先輩。
時間が経つにつれ出入りが激しくなった室内では、誰がいて誰がいないなんて気に止めない。
ずっと酔い醒まししていたのか、また出歩いてきたのかは私にとってどうでもよく、ただ泣きつく相手には好都合だった。
「う、うわーん」
「えっ!? 馬場ちゃんって泣き上戸だっけ!?」
先輩は何事かと目を丸くして足踏みをする。
「悩みがあるなら愚痴りなよ」という言葉に甘えて、私は話す気もないのにウィークポイントを幽霊のように通過した。
なるべく遠くの席に移動して、アルコール度数の強めなものを選ぶ。
叶うのなら、このカチワリぶどう酒で溺れ死にたい。
クレイジーナイトに乾杯して、私は呆気なく浅い眠りについた。

それからどのくらい他界していたかわからないが、ユサユサと背中を揺すぶられて覚醒する。
「かよつん? 起きて」
私を気遣う声は、静かにリアルへと呼び戻した。
まぶたはまだ重いけれど、突っ伏していた身体をゆっくり持ち上げる。
「ありがと。おきた」
緩んだ口もとを手の甲でこすりながら、くっついた上下のまつげを引き剥がすと、瞳に膜が張ったような景色に煩わしさを感じた。
あきらかにほてる両頬が、微熱のような気だるさを生む。
「みんな解散して、俺たち以外は帰ったよ」
「……うん?」
俺たち。たち、というのは複数形。
恐れて見上げた大和くんは優しくて、本当にあのときのお兄さんのように思えてくる。
もしも子供だったら、手のひらを握りしめて泣いただろう。
上を見ても虹はないから、涙が止まらなくて困らせることになるけれど。
なんて、酔っぱらいは迷惑を顧みないから恐ろしい。
「私も帰る」
また眠くなる前に帰ろうと、テーブルに手のひらを押しつけ四苦八苦する。
ただ立ち上がりたいだけなのに、満足にできず大和くんが手を貸してくれた。
「ベロベロじゃん。お姫様抱っこしてあげようか?」
「ノーサンキュー」
「遠慮しないで。初恋の仲じゃないか!」
「恋じゃないってば」
失恋仕立てのグロッキーな私にはNGワード。
そうなってくると差し伸べられた私を支える善意すら、もう悪意でしかなくて、胸くそ悪い気分を伝えようと強引に手を払う。
その拍子に右足と左足がよろけてぶつかり、転びそうになったところを受け止めてくれたのは彼だった。
「大和、いい加減にしろよ」
「遼こそなんのつもり? かよつんが気になるの?」
「そういう問題じゃないだろ」
荒々しい声をあげる彼に戸惑いつつ、私はなぜ彼らが言い合っているのか考えるのも面倒で、虚ろにただ眺めた。
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