ひだまりのようなその形に幸福論と名前をつけたなら
それは何の前触れもなく、突然にやって来る。
狭い部屋にひとり。
暗所恐怖症ではない。閉所恐怖症ではない。別にひとりが怖いわけでもない。
いや、もしかすると本当は、全てが怖くてしょうがないのかもしない。


本当に突然に噎せ返るように這い上がって来るその感情は、私のように身近な人を亡くした人なら誰もが体験するものなのだろうかと、他人事のように考えていた。

両親を亡くしてからもう2年が経つ。高校に入学したのと同時に両親を亡くした。
家族は両親の他におらずひとりになった私を引き取ってくれる親戚は誰一人として出てこなかった。
けれども幸いにもというべきか、皮肉なことにというべきか、アパートの一室だけを用意してくれた無責任で心優しい叔父に甘んじて、これまで一人で暮らしてきた。
最初は多少の不安があったものの、暮らしてみると気を遣うこともなく、随分と楽に暮らすことができていた。

それなりに何不自由なく暮らしている私に、不意にやってくるあの頭を焦がすような感情は不似合いじゃないかしら、と時々思ったりもする。
けれどもその反対が有り余るほどの幸福だとするなら、それも中々に鬱陶しいものだと考えて、それなら幸せはそんなにいらないなと他人事を重ねていた。
自分の人生を悲観する時間が勿体ないと言えば、姿勢正しくまっすぐに生きているようにも思えるが、実はそうでもない。
どちらかといえば性根の曲がりくねった面倒くさい性格をしていると自分でも自負できるほどだ。

ならばどうしてそんなにも自分を憐れむことがないのかと問われれば、それは決して自分が客観的に見て不幸な人生を歩んでいることを知っていて僻んでいるのではなく、変な言い訳でも何でもないのだ。

ただ単純に。



幸せは、そんなにいらない。



きっと、すぐに消えてしまうから、幸せはそんなにいらない。




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