だから俺様は恋を歌う
第六話 出会っちゃったふたり
 きょとんとする男と、それを睨みつける男。
 そうして視線をぶつからせる男二人を熱の篭った目で見つめる女。
 自室で繰り広げられるその光景を、私は面倒くさい気持ちで眺めていた。

「うふふ。出会っちゃったねぇ」

 それはそれは嬉しそうな顔でサナが言った。『ふふ』の部分を漢字変換したほうがいいんじゃないかという笑い声だ。男二人が見つめ合う光景に、胸をときめかせているらしい。
 でも、目の前の二人に全く萌えない私は、ただただげんなりしていた。
 出会っちゃった、なんて和やかなものではない。

「楓、こいつは誰なんだ? おいこら、何の挨拶もなしにナニ人の家にあがってんだよ」
「兄ちゃんこそ、ノックもなしに人の部屋に入ってくんなよ! 留守中にエロ本を虫干ししてやるぞコノヤロー」
「バカッ! やめろ! 玄関に知らねぇ男の靴があったから心配で見に来たんだよ」

 勝手に私の部屋にやってきて北大路を睨みつけるのは、私の愚兄。
 モテたいが口癖で、大学に合格してまずしたことが染髪だったという阿呆だ。だが、そんな付け焼き刃の阿呆が慌てて大学デビューしたところでモテるはずもなく、日々イケメンやリア充への恨み辛みを募らせ拗らせていっているド阿呆なのである。
 こいつは、モテたいがために次から次へといろんなものに手を出し、根気がないからすぐ辞めるような軸の定まらない人間でもあった。
 しかも、何か高いものを親にねだるときも「俺が使わなくなったら楓が使うから大丈夫」という謎の交渉をするから、私の部屋には愚兄からの“お下がりコレクション”が数多くある。
 おかげで作曲のための機材もあるし、つい最近バイト代で買ったのに飽きて譲り渡された“歌ってみた”グッズもあるから助かっているのだけれど。
 その阿呆で非モテで飽きっぽい愚兄が、レコーディングするために来ていた北大路に絡もうとしている。
 数日間漫画も読まずに曲作りに専念して、やっと曲が完成した。そして早速録ってしまおうと、今日は部活を休んで北大路とサナを部屋に招いていたのだ。

「はじめまして。北大路涼介です。姫川さんと仲良くしてもらっています」

 ぺこりと、北大路はお辞儀をして自己紹介をした。うちの阿呆よりきちんとしていることに驚いてしまう。まさかこれも“ギャップ萌え”狙いだろうか。

「お前、何しに来たんだよ」
「今日はレコーディングをしにきました。姫川さんの自宅に機材があるとのことだったので」
「あんだと⁉」

 うちの阿呆はあげた拳の降ろし方がわからないらしく、凄み続けている。でも、怖い顔をしているつもりでも傍目には顎を無駄にしゃくっているようにしか見えないため、怖くない。むしろ面白い。何でグレたことなんてないのに、威嚇の仕方が漫画に出てくる田舎のヤンキーみたいなんだそう。そんなんじゃ、あっという間に主人公にやられてしまう名前のないモブだ。
 そんな面白阿呆を前にしても北大路は礼儀正しさを崩さなかった。何でこの阿呆兄には礼儀正しいのに、私には普段ああなのかと思うと腹が立つ。腹が立つけれど、それに突っ込んでいたら余計に面倒くさいことになるだろうから黙っておく。

「というわけで、今から録るから出て行って。友達もいるから、この男にどうこうってことはない。まあ、そもそもそんな心配いらないけど」
「録るって、レコーディングって、何だ? まさか、“歌ってみた”か⁉」

 とりあえずイケメンに因縁つけたいだけの状態になった阿呆の背中を押して部屋から追い出そうとしたけれど、今度は何をするのかが気になり出したらしい。

「お前まさか、やる気なの? “歌ってみた”で人気者になっちゃおうとか考えてんの? 人気者になってオフ会開いて女の子にキャーキャー言われようとか考えてんの? 甘いね! 甘々だわ! そんな簡単に人気者になんかなれねーよ! 世の中そんなに甘くねーよ!」

 そんなこと考えてたのか。甘いのはオメーだ阿呆め。「ププー」などと言って馬鹿にした笑いをしているけれど、その言葉はすべてブーメランだと気づいてほしい。でも気づいた途端、たぶん恥ずかしさで死ぬ。
 北大路が来ているのだけでも若干ストレスなのに、この阿呆の相手は辛い。俺様と阿呆は混ぜるな危険、だ。今は大人しくしているけれど、いつ北大路の俺様スイッチが入るかいつものふざけた調子になるかわかったものじゃない。

「もう、早く出て行って。あと、今度また部屋にノックなしで入ってきたら本当にエロ本をベランダに虫干ししてご近所の方々に見てもらうからね。それか、全部BLに差し替えとくよ。しかもガチムチ」
「や、やめろ! おい、オージ、お前はこんな性格が悪い上にオタクな楓とどういう関係なんだ⁉︎ やめとけ、壁のあの不自然に布がかけられた部分はな、普段は好きなキャラグッズを無尽蔵に飾った祭壇と化してるんだぞ! 骨の髄までオタクなんだぞ!」
「バラすさないでよ! 出てけ愚兄!」

 部屋の秘密をバラしたため、私は愚兄を蹴り出すことにした。
 壁を隠したのは、別に北大路に見られて恥ずかしいからとかではない。普段そこは大好きなキャラクターを祀った祭壇のような気持ちで接しているから、その神聖な場所を穢されたくなかっただけだ。
 CD、ラバスト、添い寝シーツ、クリアファイル、クッション、フィギュア、ぬいぐるみ……買える限り集めたグッズを並べたその空間が、非オタにとって奇異なものに見えることはちゃんと自覚しているし。

「お兄さんと仲が良いんだな。姫川は親しい人には激しい態度を取ってしまうタイプなんだな」
「どこをどうみたらそう捉えられるの⁉」

 こいつもやっぱり阿呆だった。北大路は「嫌いなら口も聞かないもんだろ? ということは、ああして喧嘩をするだけ仲が良いってことだ」なんて言っている。

「……キンヤくん……ポジティブっ」

 ピント外れの北大路の発言に、サナが堪らず吹き出した。北大路の発言は、どうやらちょいちょいサナのツボらしい。


「じゃあ、今から録るよ。何回か録って、それをあとで編集したらいいからね」

 私は北大路をセッティングしておいたマイクの前に立たせた。愚兄はすぐ飽きるくせに道具は一通り揃えたい性分らしく、“歌ってみた”セットの中にはマイクスタンドもポップガードというマイクを保護する機材もあった。

「飲み物取ってくるから、適当にやってて」

 一通り機材の使い方を説明して、私はサナと部屋を出た。廊下には蹴り出されたままの姿勢で愚兄が不貞腐れていた。

「楓……あんなイケメンとどこでエンカウントしたんだ? てか、イベント発生条件は何なんだ? 俺も美女とエンカウントしたい!」

 こじらせている兄は、現実とギャルゲーを混同しているようだ。残念ながら、現実ではそんなイベントはない。素敵な出会いイベントは、この三次元においては選ばれた者にだけ発生するものだと我々モブは理解しておかなければならないのだ。

「なー、楓ー。あのイケメンはお前の何なんだー。お前ばっかりイベント、ずるい」
「うっさいな。クラスメイトだよ。私がボカロ曲作ってるって知って、自分に曲を提供しろってしつこく付きまとわれたから一曲だけ作ってやっただけよ」
「そうか。……あんまりああいうのと連むなよ。顔の良い奴らっていうのは、俺たち兄妹みたいなモブに対してどんな嫌なことをするかわかってるだろ?」

 絡んできているのかと思ったら、兄は突然心配顔を作ってこちらを見てきた。うつ伏せに寝て尻を高く突き出した姿勢でそんなことを言われても困るのだけれど、ただ、何を心配してくれているのかはわかった。

「大丈夫。一曲やれば気が済むでしょ」

 私は言いながら、嫌なことを思い出していた。
 放課後の教室、男子たちの笑い声。
 人を踏みにじっても平気な人種に決して深く関わらない、隙は見せない――私はあの日からずっとそう思って生きている。
 モブはモブで生きている。別に私たちは華やかな人間の人生を彩るために存在しているわけではない。だから、勘違いしているような奴らがいたらきちんと噛み付いてやるのだ。


「メーちゃん、一曲だけなの?」

 飲み物を二階に運ぶのを手伝ってくれながら、サナが私に尋ねた。
 この子は私が北大路を嫌う理由を知らないから、一緒に活動したいのかもしれない。

「うん、一曲だけ。っていうより、たぶん一曲やって思ったほどの反響が得られなければやめるんじゃない? 兄ちゃんの言うとおり、実際にネットに歌を投稿して人気者になるのって簡単じゃないだろうし」
「キンヤくんは人気者になりたいのとは違うと思うけどなあ……」

 サナは納得いかないという顔をした。でも、私はそれには気づかないふりをして、そっと部屋のドアを開けた。
 ドアを開けると、ヘッドホンをしたままで北大路はこちらに気づいてピースをして見せた。「頑張ってるぞ」ということだろうか。それとも「二回目のレコーディング中」ということだろうか。
 私とサナは、ジュースの入ったグラスを手にベッドに腰かけた。
 北大路は歌い終えると、もう一度頭から歌いはじめた。


「昨日までかなり練習したから、ミスなしで三回録ったぞ。三回目の出来が一番だと思うけどな」

 歌い終えた北大路は、ジュースを一気に飲み干して言った。

「何で?」
「そりゃ、やっぱり聴き手がいるほうが気持ちが盛り上がるからな。二人の温かい眼差しに見守られて、気持ち良く歌うことができた」

 見守ってねーよと突っ込んでやりたかったけれど、サナが「上手だったよー」なんて言っているからもう黙っておく。私の視線を温かいと感じられるなら、真冬に全裸でいても大丈夫なんじゃないだろうか。

「完成が楽しみだな。俺にファンが増えても、怒るなよ姫川?」

 北大路は、何を考えたのかウィンク投げキッスつきでそんなことを言ってくる。どういう育て方をしたらこんな振る舞いをする人間になるんですか?と親御さんに聞いてみたい。

「動画、頑張っていいの作るからね!」
「頼んだぞ、真田!」

 いつの間にかすっかり仲良くなったらしい二人は、笑顔でハイタッチを交わした。私はこれっきりのつもりだけれど、二人がこれからも組んでやるといっても問題はない。

「ミキシング作業をして、動画が出来次第ネットに投稿するから」
「楽しみだな」

 一体どんなことを期待しているのかはわからないけれど、北大路はキラキラとしていた。こいつには希望しかないのかな、ナルシストだから――なんて思うけれど、世の中そんなに甘くないんだからねと言いたい。
 歌を投稿したら嫌でも現実が見えるだろう。今の時代、自分の歌を聴いて欲しい人はたくさんいて、そして上手い人もたくさんいるのだ。
 その中から人気者になるのはほんの一握りで、それはたぶん歌のうまさだけではない。
 しかも、私の曲が元々人気とかならまだしも、決してそうではないのだから、それを歌ったものを投稿したところでどれほどの人が見てくれるというのだろう。
 そういった諸々のことを、投稿してから嫌というほど感じれば、北大路はきっともう私に近づかない。がっかりして、他の人を当たるだろう。そうして私は無事あいつと縁が切れる――そんなふうに考えていたのに。
 私の思惑は大きく外れることになる。


 北大路が歌った動画は、その動画投稿サイトのランキングに入ったのだ。
 ついでに、原曲にあたる私のボカロ曲も。
 これまで大した宣伝もせずに、出来上がったら投稿するだけだったためなかなか伸びなかった視聴数が、北大路効果でぐんぐん伸びた。
 ミリオンにはもちろん遠いけれど、それまで視聴数三桁四桁だった私が作った曲が、視聴数五桁を突破して初めてランクインを果たしたのだ。

 それは、私にとって大きな進歩で、そして私たちにとって大きな一歩だった。
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