秘書と野獣
そうして月日が流れ、私が21歳になって間もなく突然こう言われたのだ。
「 ウサギ、お前俺の秘書になれ 」
と。
この人はバカなんだろうかと本気で思ったのを今でもはっきりと覚えている。
それも当然だ。
ずっと小さな会社で事務員として働いてきた私が、しかも高卒の私が、誰の目にもエリートだとわかる社長の秘書などできるわけがないじゃないか。
だからまたいつものようにからかわれてるんだと信じて疑わず、まともに取り合うことすらしなかった。
けれど彼は本気だった。
切れ者の彼は正面から私を説得するよりも周囲を説得する方が早いと判断したのだろう。ある日突然うちの社長から直々に言われたのだ。進藤社長の下で働くのは君にとって絶対にプラスになる。だから思いきって彼の懐に飛び込んでいきなさい、と。
まさかと驚きを隠せなかったし、その時に初めて彼が本気だったのだと知った。
「進藤君の見る目は間違いないよ。君は自分が高卒だってことを気にしてるんだろうがそんなことは関係ない。彼は今のままの華ちゃんが必要だって言ってるんだから」
「今のままの私…ですか?」
「そう。彼にとって肩書きなんてどうでもいい。真面目でひたすらに頑張り屋の君が今の彼にとって必要ってことなんだよ」
「……」
それは魔法のような言葉だった。
自分という人間を、ただありのままの自分を認めてもらえたような気がして。
とはいえ、だからといってこれまで私と家族に手を差し伸べ続けてくれていた社長さんに 「はい、さようなら」 なんて気には到底なれず、私は進藤社長からの打診を何度も断った。
けれど彼は諦めることは決してしなかった。
断れば断った分だけまた声を掛けてくる。回数を重ねてくるごとに、それはそれは魅力的な言葉で私を誘惑し続けたのだ。
さすがは元敏腕営業マンだと脱帽するほどに、少しずつ私の頑なな心を溶かしていった。