新宿ゴールデン街に潜む悪魔

村岡

5年前、村岡寛(むらおかひろし)は妻の翠(みどり)と離婚協議中だった。
とはいってもまだ離婚は成立していないので同じ家に住まざるを得ない。家庭内別居というやつか。

同じ空気を吸っていることすら許せなかった。
息がつまる。ストレスが貯まる。

離婚を決めた原因は、よくあるものだった。翠が浮気をしたのだ。

ある日を境に翠は料理を作らなくなり、深夜外出が増えた。初めはなんとも思っていなかったのだが、翠が帰って来ると、村岡が吸っている煙草とは違う煙の臭いがするのが気になり始め、首にキスマークをつけて帰ってきた時に疑いは確信に変わった。

「なんかさー、ここ引っ掻いちゃったみたい。最近ちょっと痒いんだよね」

白々しく痒み止めを塗る。
引っ掻いてそんなところがそのように赤くなるはずはない。

なるはずがないが、単刀直入に言う

「お前誰かとヤッたやろ?」

「は?なんでそうなるの?あ、これがキスマークに見えるってことか。今日は学生の頃の同級生と飲んでただけ」

三文芝居。村岡にはそう映った。

しかし、このままごちゃごちゃ言い合っても水掛け論になるだけだと判断し、村岡は

「そうか。すまんな」

とだけ言って押し黙った。

現場を押さえてやろう。

村岡はそう思った。
現場を押さえる。そう考えた瞬間村岡の頭には「探偵」の二文字が浮かんだ。そうだ、探偵だ。少し値ははるが、探偵を雇うのが一番手っ取り早いという結論に達した。


探偵を雇ってから3日後、村岡は妻が強面のの男(イケメンではあった)とホテルに消える瞬間を目の当たりにすることになる。ホテルに入る前にはデイープキスまでしている。

怒りがこみ上げてくる。殺してやろうかとすら思う。妻も、相手の男も。

離婚しよう。そう決めた。
離婚しよう。大事なことなので2回決めた。

不幸中の幸いで二人の間には子供はいなかった。養育費うんぬんの話にはならなかった。

それにしてもである。村岡は探偵に興味を持った。依頼して3日でここまで完璧な証拠を掴んでくるとは。その迅速さに驚いた。探偵といっても雇ったのは二十代後半の青年である。

村上は言った

「探偵って凄いなー。なんか俺もやりたなってきたわ。四十で探偵なるやつっておる?遅すぎるか」

「いや、脱サラして探偵になる人もいますから遅いってことはないと思いますよ」

「ほんまか。日本中の不倫してるやつ全滅させてやろか思って」

「いいですね。そんなことできたら」

探偵の青年が笑う。

「君の入ってる事務所、俺も入れてくれへんかな?無理やったらえーんやけど」

青年は少し考えてから笑顔で

「いいですよ。採用されるかについては何とも言えませんけど一応言っときますね」

そう言って探偵事務所の電話番号を渡してくれた。

「色々ありがとうな!」

「こちらこそです!」

1日20万円、3日で60万円支払ったが得たものは大きい。村岡はそう思った。


村岡はごく簡単な面接を受け、安月給の仕事を辞め、晴れて探偵になった。特に前職のことや持っている資格などについては聞かれなかった。

「我慢強いほうですか?」

と、年下の男に聞かれ

「はい、我慢強いと思います」

とだけ、答えておいた。


探偵とは本当に忍耐力の勝負であった。何時間も獲物が来るまでひたすら待つ。そして獲物が掛かった瞬間のガッツポーズをしたくなるような感覚は最高だった。

魚釣りのようだ。

魚釣りは嫌いではない。ぼーっと待つという作業はあまり苦に感じない。自分には合っているのだろう。

初めて浮気現場を押さえた瞬間、村岡には快楽のような感覚が走った。

小型のビデオカメラに向かって

「よくやった!」

と声をかける。

奇しくも同じ日に翠との離婚が成立した。

これ以上いい日はないな。突き止めた時の達成感に満足する。
村岡は自分にご褒美をあげたくなった。

「ゴールデン街で浴びるように酒でも飲むか」

村岡は中野の自宅を出て、新宿ゴールデン街に向かった。

抵当な店に入る。一人先客がいた。ハットを被り目にはひび割れメイクを施している男だった。、

「お兄ちゃん目立った格好しとるなー。まあこの街にはそんなんぎょーさんおるけども。あ、俺村岡や。村さんって呼んでや」

それが、響との出会いだった。


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