*゚闇に沈む少女*゚

✡:。*無礼講な宴会*:。✡




僕と芹沢さんは 近藤さんの襖にいた。





「....近藤さん 雛菊です。」






今朝、朝餉の後 話があると予め伝えていた。






「あぁ、入りたまえ!」





「失礼します。」





「よう、近藤。」





僕と芹沢さんは部屋に入った。





「....早速 話したいのですが、、、



コソコソと隠れて何をしているのですか?」






「....バレたか。」




「えへ!」





えへ....て、藤堂さんよ。。


しかも、巫山戯たことを抜かしいるのは
土方や沖田さん、それだけじゃなく



会議か....っと、突っ込みたくなる程
全員集合という形になった。





「紫陽花が 芹沢さんと歩いてたから、気になって。」




「....まぁ、良いか。





近藤さん、今日の巡回....
僕と芹沢さんで行っても構いませんか?」





僕と芹沢さん以外 目を大きくした。





「たまには、儂もやろうと思ってな!」




「お願いします、責任は僕が持ちますから。」





「....ふむ、許可する」





近藤さん、やっさしいー!とか思ってるが






「近藤さん 良いのか!?」




「最近は 何も無いから大丈夫だろ?」






近藤さんに許可を貰ったので
巡回に行く事にした。





八木邸の人達と巡察に来て
街並みを歩いた。






八木邸では、芹沢鴨,新見綿の他に
野口健司、平山五郎、平間重助が住んでいる。




野口 健司(のぐち けんじ)...天保14年
(1843年) - 文久3年12月27日(1864年
2月4日)は、新選組隊士(副長助勤)。
諱は政詰。


水戸藩出身。江戸の百合元昇三道場で神道無念流を学び目録を得る(免許皆伝とも)。同門には新選組幹部となる永倉新八がいた。




平山 五郎(ひらやま ごろう)...文政12年
(1829年) -文久3年9月18日(1863年10月30日
)は、幕末の武士。新選組隊士(副長助勤)。



姫路あるいは水戸藩出身。元姫路藩士堀川福太郎の門人となり剣術を学び、神道無念流の免許皆伝の腕前であった。花火の事故で左目がつぶれて隻眼だったが、目が潰れた左側から打ち込むと猛烈に切り返し、逆に見えるはずの右側からだとわりあいに隙があったという。


安政6年(1859年)に横浜戸塚の直心影流萩原連之助の道場を訪ねた記録が残っている。



平間 重助(ひらま じゅうすけ、文政7年
(1824年))は、江戸時代後期の浪士。新選組隊士(壬生浪士の副長助勤)。


水戸出身とされるが、出自は不明である。永倉新八に拠れば、芹沢鴨の前名とする説のある下村嗣次に剣術を学び、神道無念流目録を得る。


その後、文久3年(1863年)2月、芹沢とともに浪士組に参加すると記録されているが





僕も、そこまで詳しくは知らない。




という訳で、巡回に来てるけど
改めて 強い者揃いだなって思った。





こんな所で 留まるなんて勿体ない。





長州の古高俊太郎,吉田稔麿,久坂玄瑞,桂小五郎,高杉晋作,宮部鼎蔵

土佐藩の坂本龍馬,薩摩藩....西郷隆盛,




この人物らと新選組の総合力があれば...
きっと 良い未来が待っているはず。
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