冷たい雨の降る夜だから
 卒業するまでに3回だけ、物理実験準備室に行った。

 自分勝手だとわかってたけど、2年の時も3年の時も、バレンタインだけは先生の居ないときを見計らってチョコレートを置きに行った。

 カードも何も、添えなかった。携帯に連絡も入れなかった。先生からも……何も来なかった。

 最後に行ったのは、卒業式の日。

 会いたい気持ちと怖い気持ちの両方を抱えて行った。待とうかどうしようか散々悩んで、結局廊下の先の非常口から逃げるように帰った。

 その日の夜に先生からメールが来た。「何かあったら連絡しろよ」それだけの、先生らしい簡素なメール。

 高校生の頃の私を怯えさせた夢は、段々と『何か』に追いかけられる夢へと姿を変えていった。今でもやっぱり、その夢を見れば不安になるし、悲鳴も上げる。だけど、今は……優しい先生の夢のほうがずっと堪える。ぽかぽかした陽だまりに居るみたいな、そんな心地良い夢。

 先生の夢を見た夜は、いつも泣きながら目が覚める。

 会いたくて会いたくて堪らなくなって、だけど、もう二度とあの頃には戻れないんだと……目が覚める度に、思い知るから。それでも、記憶の中の先生と先生がくれた最後の言葉は、確かに私の心をずっと支えてくれていた。

 ぎゅうっと枕を抱きしめて居ると、机の上に放り出していたスマホが着信を告げた。

 ……電話?

 普段殆どかかってこない電話にいぶかしんで手を伸ばす。

 さやか? それとも、菊池君? 菊池君には、番号は教えてないはずだけど誰かから聞いたのかな……?

 誰からの電話にせよ、今はちょっと出たくない気持ちで、取りあえず誰からの電話かを確認しておこうか程度な気持ちでスマホを手にした私は、その画面に釘付けになった。

 『新島せんせ』

 え……? せん……せい……?

 表示されている名前が信じられなくて、何度も何度も読み返してしまう。何度見ても、そこに表示されているのは、高校2年生の私が浮かれて登録した『新島せんせ』だった。
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