声が聞きたい
家族の形
第六話 家族の形

「……」

陽美と蘭、遼河があの後訪れた場所

それは、陽美と遼河の父親が経営する、あの病院だった

「…嘘」

集中治療室のガラスの向こうでたくさんのチューブに繋がれ、酸素マスクや様々な機械に囲まれていた一人の女性

「あれが……万亜さん…?」

昨日、あんなに話したのに

昨日、普通に話していたのに

蘭は状況が掴めず、いまだ混乱していた

「確かに昨日、万亜さんからその事は聞いていたけど…あれだけ普通に話していたのに…!」

「…あの人、半年前に肺がんを患ったらしい
延命治療を望まず、痛みを緩和するだけの治療を選択したと聞く」

遼河は何とも言えない顔をしながら、そう呟いた

「……っ…」

数年ぶりに見た母親の姿は…

あの頃の面影も少なく、まるで別人のようだった

明るい茶色にしっかりメイクをしていたあの母親は…

髪がすっかり抜け落ち、メイクなんて一つもしてなかった

「陽美…」

蘭が陽美に寄り添うが、陽美は微動だにしない

「髪の毛は…薬の副作用?」

蘭が問うと、遼河が小さく頷く

「…自分勝手に生き、周りをかえりみなかった罰だと、そう思いたかった

けど、どんなに恨んでも俺たち二人の母親は、あいつしか居ないんだよ」

悔しそうに遼河が下を向くと、奥の部屋から声がした

「…万亜はもう、手遅れだ」

低く、重い声がした

「…親父…!」

恨んでいた長年の積年が募ったかのように、怒りに震える声で向き直る遼河

「なんで…なんでこうなるまで俺たちを呼ばなかった!
どれだけ憎んで、恨んでも、変わらずこいつは…俺たちの…!!」

遼河が感情をあらわにしたのは、家族がバラバラになって以降、初めてだった

陽美はそんな兄の後ろ姿の向こうにある、久しぶりに見る父親の姿を視界に捉える

「陽美も…久しぶり、だな」

大きくなった息子と娘の姿をみて、僅かに目に涙を浮かべた

「…万亜が、拒んだんだ。

今まで散々お前たちに酷いことを言い、母親らしい事なんて一つもできなかった自分に、会いたいなんて言う資格は無い…と」

父親の言葉を受け、また俯き、拳を強く握る遼河

陽美は視線を万亜の方へと映し、そっと見つめる

「……」

口を静かに動かした陽美に、父親や蘭は驚く

“ちゃんと、お母さんしてたけどな”

「陽美…」

ニコッと蘭に向き直った陽美

“確かに、世間のお母さん達よりは上手にお母さんが出来なかったかもしれない

だけど、自分なりに頑張ってたと思うな、私”

「…どういう、事だ」

父親が信じられないといった顔で陽美を見つめる

「……」

陽美の頭の中に、たくさんの思い出が蘇る

毎日のように夫婦喧嘩をしていたあの家で

毎日のようにお皿の破片が飛んできたり物が飛んできたりしたあの家で

決して、楽しいことばかりじゃなかったと思う

だけど

陽美や遼河の誕生日には、決して美味しくは無かったし形は歪だったけど…毎年手作りのケーキを焼いてくれたし

耳が聞こえない陽美が学校でからかわれ、泣きながら帰ってきた時
真っ先に学校へ行ってからかった子たちを怒鳴り上げ、謝らせた事もあった

仕事が好きだった万亜は、子供に自分の時間が取られることが苦痛だった

だけど、自分が産んだ子供たちを無下にも出来ない

そんな葛藤の中、娯楽を探して狂ってしまったのだろう

「…可哀想な人、と俺はずっと思ってた」

遼河が静かに口を開く

「だけど…本当に可哀想だったのは、あの人を分かってやれなかった、俺たちなのかもしれない」

静かに病室の扉を開き、中に入った陽美

「……」

頬はやせ細り、手足もほとんど皮のようになり変わり果てた母親

「……」

冷たいその手を両手で包み、陽美は額を当てる

「……」

「…、な…み?」

微かに手が動き、陽美は顔を上げる

「…ごめん、ね…」

涙を流し、陽美を見つめる万亜

「ちゃんと…あなたを産んで…あげられなくて、ごめん…ね…」

陽美の視界が涙でぼやける

ぶんぶんと大きく首を横に振る陽美は声にならない声で訴える

「…っ!は…っく…!」

“そんなことない!だってお母さんは…!”

言いかけたところで、嗚咽に混じって言葉にならなくなる

伝えなきゃ、今、伝えなきゃ…!

耳は聞こえなくても、口の動きで何とか伝わってきた陽美

だけど、今ここでちゃんと私が伝えなきゃ…

きっとこの先、一生後悔するだろう


しっかりと息を吸いこみ、陽美は告げる

「お…かさ、ん…!わた…私…!」

目の前にいた万亜が目を見開く

「ひな、み…あなた…もしかして…」

陽美も驚き、自分の首元に手をやる

「…!」

自分の声が、聞こえる…?

これ、私の声…?

今聞いたのは、お母さんの、声…?

確かめたくて、何度も何度も呼びかけた

「お母さん…お母、さん…!」

紛れもなくそれは、陽美の声だった

「陽美……」

万亜の笑顔を見たのは、いつぶりだろう

慌てて病室に入ってきた三人も目を丸くする

「私…私ね…お母さんのおかげで今、とっても楽しいの」

笑顔を作ってみるが、嗚咽と涙で上手く笑えない

「お母さん…私を産んでくれて、ありがとう」

陽美の言葉に涙したのは、万亜だけでは無かった

後ろで聞いていた蘭に遼河、父親までもがみな涙した

過去にあれだけ産まなきゃ良かった、

こんな子たち邪魔にしかならないと…

あれだけひどい言葉を浴びせられ続けてきた陽美

それでも、この母親が好きだった

世界でたった一人の、陽美の母親

「お母さんが産んでくれたおかげで、蘭ちゃんにも、出会えた
たくさんの本を読むことも出来たし、新しい友達も、出来たの」

途切れ途切れになりながら、必死に言葉を繋げる

「…お母さん、会わせたい人がいるの

明日、連れてきてもいい?」

万亜はどう反応していいのか分からず戸惑っていたが…

陽美の後ろでため息をついた遼河と嬉しそうな父親を見て

精いっぱい、笑った



次の日

陽美はある人物をある公園に呼び出した

「悪い!遅くなって」

ぽん、と陽美の肩を押したのは麻陽だった

「お前から呼び出しなんて、珍しいな?
何かあった?」

少し嬉しそうな麻陽をみて思わず笑ってしまう

「…な、なんだよ」

くすくすと笑う陽美は、静かにスマホを取り出した

カチカチ…カチ…

“実はね、麻陽くんに伝えなくちゃいけない事があるの”

「俺に?」

うん、と頷く陽美はさらに文章を続ける

“私の昔話、聞いてくれる?”

そう麻陽に見せると、麻陽もうん、と深く頷く

一通り陽美の過去をメモに打ち込み、麻陽に見せる

「…っ、!!」

当然、麻陽はとても驚いた顔をした


ー本当は、言うのを躊躇っていた

こんな事を話して、普通ならドン引きされるだろう

受け入れてもらえる確率なんて、無いに等しいだろう

だけど、やっぱり麻陽は違った

「…辛かったな」

陽美のスマホにそう打ち込まれていた

「…それで、俺に過去を話したってことは、まだ何か続きがあるんだろ?」

察しのいい。

うん、と頷いた陽美は二人並んでいたベンチから立ち上がると、麻陽の目の前に立つ

「……」

そして、静かに口を開いた



「…私ずっと、麻陽くんが好きだった」



初めて聞いた陽美の声に驚き、目を見開く麻陽

「…昨日、お母さんに会ってきたの
そしたら末期の肺がんだって言われて。

…最後にちゃんと伝えなきゃ、って思ったら…克服、しちゃった」

えへへ…と照れくさそうに言う陽美は、次の瞬間とても暖かくなった

「えっ…ちょ…麻陽、くん…?」

麻陽に、抱きしめられていた

「…っ、初めて…お前の声、聞けた…!」

嬉しさが滲み出ていたその声は、じわじわと陽美にも染み込んできた

「ずっと…お前とこうやって話してみたかったんだ
どうにかして、お前と話せないかって、ずっと…考えてた」

麻陽の肩が震える

「…逢坂、俺も…お前にずっと、惹かれてたんだ

初めて会った、あの時から…!」

強く、強く抱きしめられた


どんなに心待ちにしていた事だろう

陽美とこうやって話せるようになる日を

自分の声が、陽美に届く日を

陽美の声が、自分に届く日を


涙で前がうまく見えない

陽美も同じように、麻陽を抱きしめた


ーーカシャン、

「…まひ、る……」

陽美の後ろから、か細い声がした

手に持っていたであろうスマホを落とし、呆然と立ち尽くす人が目に映る

「……」

顔を上げると、部活終わりの花奈が立っていた

「…やっぱり、麻陽は逢坂さんが好き…だったんだ、ね」

「花奈…」

その時ようやく、陽美は花奈の気持ちを知った

幼馴染み、と麻陽に紹介されてからそうとしか思っていなかった陽美

だけど、花奈はずっと、麻陽を想い続けていたのだ

麻陽からすっと離れた陽美は花奈に向き直る

「…花奈先輩、私絶対麻陽くんを幸せにします
先輩の想いの分まで、必ず」

「あなた…声……!!」

驚いた花奈

「…ごめんなさい。前あなたに会ったとき、まさか耳が聞こえないだなんて、知らなかったの

ひどい事言って、悪かったわ」

決まり悪そうに言う花奈を、歩み寄った陽美はそっと抱きしめた

「私…花奈先輩とも、もっと仲良くなりたいです

…だめ、ですか?」

陽美が告げると、花奈は涙目になりながら小さく頷いた

「うん…うん…」

ひとしきり泣いた花奈は吹っ切れたのだろう

「麻陽、陽美ちゃんを幸せに出来なかったら、許さないんだから!」

「…任せろ」

とびっきりの笑顔で麻陽にそう告げると、花奈は去っていった

「…それで、俺はどうしたらいい?」

「…お母さんの所に、一緒に来て欲しいの」

「お見舞いか?…分かった。行こう」

「お土産とか、いるかな?」

「好きなもの持っていったら喜ぶんじゃない?」

麻陽は陽美の手を取り、万亜のいる病院へと向かった


「…あーあ。やっぱりだめだったかぁ」

頭の後ろで手を組み、花奈の横で欠伸をする

「…でも、私の想いは無駄じゃなかったって、今なら思える」

「花奈はお人好しだね」

麻陽とよく通り歩いた並木道を、花奈と結斗はのんびり歩く

「僕はさ…少し、ホッとしてるんだ」

「…何それ。どういう事よ」

思わず食いついた花奈に慌てて訂正する

「い、いや!別に悪い意味じゃなくってさ?

んー…そのー…ええと…」

「なによ、私が振られたのがそんなに楽しいの?…趣味わるっ」

機嫌を損ねた花奈は少し早歩きになって進む

「ま、待って待って!別にそんなことは言ってないじゃないか」

「じゃあ何よ!」

ぐるん!と振り返った花奈は結斗に詰め寄る

「…っ、!

…はぁ。分かったよ、白状しますよ」

ふぅ、と落ち着いた結斗は真剣な顔つきで花奈を見つめる

「僕はずっと、花奈が好きだったんだ」

「…っ、!!」

「…知らなかっただろう?
花奈はずっと、麻陽しか見てなかったからね

僕がずっと想いを寄せていたことなんて、気づきもしないだろうって、思ってたし分かってた」

「ゆい…」

「あぁ、返事はすぐじゃなくていい。
失恋して消沈気味な女の子を急かすほど落ちてないからね」

少しおちゃらけたように言う結斗が何だかおかしくて、つい笑ってしまう

「まあせっかくここで言わざるを得なくなって言ったわけだし?

…これからは、覚悟しといてね?」

怪しい笑みを浮かべた結斗はまた歩き出す

「ちょっ…待ってよー!」

小走りで結斗を追いかけた花奈の頬もまた、赤く染まっていた
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