屋上のあいつ
「片倉君、今ちょっと良い?」
 と言いながらも、俺と勇のかばんを椅子からのけて、座る。かばんはそっと床におろされた。
「どうしたん?」
「恵子しっとるよね? 赤間恵子!」
 森田がやや興奮気味に問う。赤間恵子。知ってるも何も、毎日話しているのだ。
「うん、恵子がどうしたん?」
 少しばかり気の強い、彼女の顔を思い浮かべる。
「わっ! 恵子だって! いやん、もう下の名前で呼び捨ててんの?」
 俺の気の抜けた返事に、信田がわっと目を開いた。頬が赤い。なんだこいつら、なんの冷やかしだ?
「恵子がね、片倉君、今日の放課後ね」
 女子二人が顔を見合わせてうふふと笑う。
「屋上にきてほしいって! 片倉君、よかったね!」
 いい終えると「キャー」と黄色い悲鳴をあげつつも彼女達は去っていった。
「俊ちゃん」
 勇がにやりと笑って彼女達の背中から俺に視線を向けた。なんだよ、その「にやり」は。
「今日の放課後だって! やるな、お前」
「ええ……? 告白かなあ」
「今のテンションはそうやろ! なあん、乗り気やないね」
「恵子、好みやないもん」
「えー! 赤間っちけっこう可愛いやん!」
「可愛いけどさ……うん、ま、考えてみるよ」
 屋上、ってことは今日も温に会うのか。と、おいおい、温じゃなくて今は恵子だろう。恵子がそんな風に俺を見ていたなんてわからなかった。俺はただ、仲の良い女子程度に思っていたし、そこまで好みのタイプじゃない。かわいいな、とは思うけど、それまでだ。俺の好みはどちらかといえばもう少しおとなしい、あまり派手ではないような子だった。恵子は髪も染めてるし、はっきり言っておしとやかとは程遠い存在だ。断ったら、死ねとか言われそう。泣いて走っていくとか、笑って「そっか、ごめん」とかないんだろうな。そう思えばあいつってけっこう凶暴な女なんだ。
 大丈夫だ、俺は初対面の奴に対して凶暴じゃない。
 そっか、俺と恵子は初対面じゃないもんな。入学式から何回も顔を合わせている。あ、いやいや、あの台詞言ったの恵子じゃなかった。てか、恵子全然関係なし。
「ま、放課後のお楽しみってことで」
 残りのみそ汁を一気に流し込むと、俺は勢いよく立ちあがった。
「じゃあ、そろそろ面談行ってくる」
「おう、頑張れ!」
 食器を返却口に持っていくと、調理場に掲げてある時計は十二時四十分をさしていた。面談は四十五分から十五分間、丁度良い時間だろう。
 校舎の一番下にある食堂から、二階の職員室横の進路指導室まで、小走りにあがっていく。食べた後すぐに運動すると、おなかが痛くなるって言うけど、俺は一回もその経験がない。食堂から教室へと戻っていく生徒の間をすり抜け、渡り廊下を渡り進路指導室の前の廊下へと出ると、すでに担任は教室の前で立っていた。
「あ、先生、俺遅刻?」
 言いながら、進路指導室の中の時計を覗く。
「いや、ぴったりぐらいよ、大丈夫」
 じゃあ入りましょうか、と担任は教室の鍵をあけた。その手にはいつも面談の時に使うファイル(クラスメイト一人一人の情報が書き込まれたやつだ。面談の度にあれにメモをとっている)と、今回の模試の結果をファイリングしたものが、しっかりとにぎられている。
「この教室、ちょっと冷えるかねえ」
 電気をつけに、スイッチのある場所まで行っていると、背後から担任が、少し震えた声を出した。もう十一月も半ば、肌寒さを感じる時期だ。
「暖房も、つけます?」
 ぱちぱちと蛍光灯をつけながら振り返ると、彼女は着々と机の上に面談用の資料を広げていた。あれを見ながら話されるのって、なんかいつもよりかしこまっていて、どこか緊張する。担任の口調は、いつもより柔らかいけれど。
「いいや、いいよ。どうせ話しとるうちにはあったまらんやろ」
「ですね」
 ペタペタと上靴をならし、彼女と対面する椅子に座ると、彼女は「では」と言って話し始めた。ああ、怒られる心配もないってのに、何か緊張する。膝の上で、じんわりと汗ばんできた手を、制服になすりつけた。
「今回も成績良かったし、特に問題はないと思います。志望校判定も良かったし……ただ、やっぱりあなたの場合数学がものすごくネックだから、このまま国立狙うとしたら、そこを克服していかなきゃね」
 やっぱり早速数学のことを言われたか。心の中でため息をつき、
「はい、分かってます」
と軽く頷き控えめに返事をした。
「結局第一志望は相変わらず東北なの?」
 一年の初めの面談の時、「とりあえず雪が積もりそうなところ」という理由から、軽い気持ちで選んだ東北大学。わざわざ九州から東北になんて、志望する奴は相当稀らしく、三代前の先輩が一人行っただけで、それ前後の記録はないとのことだった。
「そうですね」
「わざわざ九州から東北っち……あんたも物好きやねえ」
「あは、まあ父さんからも『やりたいことやって、失敗して痛い目見て学べ』っち言われとりますし」
「そう……めぐまれとるね」
「そうっすね」
 でも、本気で狙うんなら、数学の勉強本当に頑張んないと。なんと言ったって数学は数ⅠAも数ⅡBも五十点以下で、俺の成績は他の教科によって支えられているようなものだったからだ。偏差値も、国語、英語、歴史の三教科合計だと七十四だが、国語、英語、数学となるといきなり十以上下がり、六十三になってしまう。致命的欠点なのだ。
「まあ、あなたはきっと私立より国立の方があっとるやろうし」
 やっぱり私立かなあ、と朝考えていたことを、言おうか迷っている間に、先生が先手を打ってきた。まるで、その言葉が「私立は考えるな」と言っているように聞こえ、すぐに顔をあげ、言い返す。
「何でですか?」
「私立はね、どっちかっていうとちょろっと勉強して後は就職、みたいな所があるけんね。あなた、一回疑問に思ったら物事深くつきつめていく方でしょう」
 にやり、と担任が笑みをうかべる。対して俺は、苦笑いを浮かべることしかできなかった。担任の受け持つ生物の時間、何度ふと疑問に思ったことを質問して、授業を中断させたことか。昔から、一つの事を考え出したら納得のいく解答が得られるまで、何時間でも何日でもそのことばかりを考えてしまうのだ。他の事がおろそかになるってレベルじゃないから、まだ良いんだけど。そっか、性格上の問題だったら、言い返す言葉も見当たらない。
「そう……ですね」
 おとなしく、頷くしかなかった。
「うん、なら国立の方が良いやろね。あとは……この大学」
 そう言い彼女は模試の結果プリントに印刷されていた大学の一つを指さした。立地が、俺の描く大学像にぴったりだったから、志望校に入れた国立大学だった。
「あなたのレベルやったら、今のままでも受かるから、もっと高い所を目指しなさい」
「ええー?」
「ええー、じゃない。まだ高二なんやから、これから伸びるはずやけ、頑張り」
「うー……はあい」
 もっと偏差値低かったら、ここでもゆるしてもらえたんだろうか。まあ、ここは滑り止めとして考えておく程度にしよう。それから少し先生と他愛もない話をして、面談は無事終了した。一つの山が、すぎさったって感じ。さあ、あとはもう一つ。
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