屋上のあいつ
「片倉君まだそのことひきずっとおと?」
 翌日。朝から森田が一人になる時を伺って、二時間目の終わりにやっとチャンスがめぐってきた。社会科係としてプリントを職員室にとりに向かう森田にさりげなく(今日はたまたま二人いる係の片割れが休みだったので)「手伝うよ」と声をかけたのだ。学級委員という俺の立場は、こんな時ちょっと役に立つ。
「いや、昨日勇がふってきたからさ、そういえば、と思って」
 まだその話題か、と少々あきれた目を向けられた俺は、あわてて弁解をくっつける。確かに、教室ではこの話はもう何日も前の古い話題だった。そんな話を蒸し返して、おかしいと思われないほうが不思議だ。ああ、もうちょっと慎重に聞くんだったな。勇と違って、俺はこういうのはどうも苦手だ。嘘は、性分にあってないらしい。
 森田はあわてた様子の俺を見て「ふうん」と言い、腕を組んだ。
「前に言ったかもしれんけど……七年前、授業中に飛び降りた男の子がいて、それがうちの学校の密かな怪談話になっとるんやけどね」
「うん」
「学校の不祥事で、当時高校二年生だった男子が死んでしまって、時々校内にでるんだって」
「学校の不祥事?」
「うん、そう」
「っち、何?」
「それは知らない。怪談なんて、えてしてそんな不明確なもんでしょうよ。それに」
「それに?」
「もしこの話が本当だったら、それこそ学校側は隠したいから『不祥事』なんて言葉で濁しとんやろ。真実はでまわっとらんっち事ですよ、意図的に仕組まれて」
 皮肉っぽい彼女の言い方に、俺は思わずうなずいてしまう。なるほど、森田の名推理だ。
「名前さえ分かれば本当の話かアルバムで確かめられるのになあ」
「え? 名前わからんの?」
「そりゃあ、ただの噂話やけねえ。わかってたら、調べ上げて、実話っち言ってかたっとるよ」
 はあ、とため息をつく森田を尻目に、俺は心の中で手をうっていた。そうだ、卒業アルバム。七年前の位ならば、図書館に保存してあるはずだ。その自殺した子が温なら、きっとそれにうつっているはず。
「森田、お前すげえなあ」
「へ」
 心から出た言葉に、森田は間の抜けた声を出した。何だ、すばらしくさえわたる頭脳を披露したってのに、それじゃあ台無しじゃないか。首をかしげて見返すと、彼女は「いや」と言いクスリと笑った。なんだか俺、何か変な事言ったかな?
 それからの授業中は図書館に早く行きたいとそればかり考えていた。やっと四時間目が終わり、ダッシュで弁当を食べると、食休みもせず図書館へとかけこむ。司書の先生に言って、奥の鍵付きの棚からアルバムをだしてもらう。念のため、九年前から五年前までの五冊をだしてもらった。噂が、ぶれてることは十分にありうる。机の上に並べられたアルバムを見て、けっこう冊数があるな、とちょっとげんなりした。
 卒業はしていないはずだから、多分個人写真は載っていないだろう。となれば、入学時の集合写真に的を絞れば良い。名前は無いが、温が亡くなったときと入学した時とでは、そんなに外見に差はないだろう。見れば、分かるはずだ。七年前の高校二年生……ということは六年前の卒業アルバムだ。
 かたい表紙を開くと、きしきしという音がして、見慣れた校舎の写真があらわれた。卒業か。俺たちももうあと一年ちょっとで、このアルバムの中に思い出を納めることになるのだ。受験生になったら、一年なんてあっという間だろうな。
 不自然な笑顔が並ぶ個人写真を素通りして、一年の時の集合写真を見つけた。人数が多く、一人ひとりの顔がかなり小さい。校内の芝生の坂で撮られたもので、先ほどの個人写真に比べたらまだみんな生き生きとした表情をしている。制服も新しい。そう言えば、俺たちも同じ場所で、集合写真をとったっけ。入学式の後、テンションがあがって勇と二人でふざけていたら、ばっちりその瞬間をとられ、もう一枚撮り直しになったような気がする。どうせならふざけている方を、アルバムにのせてほしいな。
 温はたしか、身長が高かったはずだ。百八十センチぐらいあるのだろうか。それなら少しは目立つはずだ。あ、そういえば少し浅黒かったかな。なんか部活でもやっていたのだろうか。
 一人ひとりの顔を丁寧に追い始めると、結構時間のかかる作業に思えてきた。今の俺たちの学年より、確実に二クラスか三クラス分ぐらい多い。もしこのアルバムに載っていなくて、いつのか分からなかったら大惨事だな、そう思ったその時、俺の指の先は見慣れた顔を捉えた。周囲より少し抜きん出た身長、浅黒い肌、すかした様な、素直じゃない笑顔。
 いた、温だ。並んだ列の中央部の右端に、彼はいた。幽霊になった今と、あまり変わっていない。まあ高一から高二なんて、そう変わるものでもないか。
 発見したことがうれしくて、ついうっすらと笑みが漏れる。後藤温は存在した。本人の言っていることも、噂もぴたりと符合する。やっぱり勇や森田の言っていた生徒は、自殺したって奴は、温のことだったのだ。
他にものってないか、顔をアルバムに近付けて、探した。亡くなった生徒のことなんて、そうそう載せるものでもないか、と思いつつもアルバムのページをめくる。合唱コンクール、クラスマッチ、体育祭、文化祭、修学旅行……イベントごとに凝縮された思い出が、型にはまったように載っていた。真剣な顔、笑顔、泣き顔、希望に満ちた顔、顔、顔……。
 この中に、確実に温はいたのだ。おさまりきれない学校生活を、無理やりおしこめたようなアルバムの中で、その他大勢に混じって笑っているはずだった。
 なんとなく悲しくなって、ページをめくる手を止めた。温の載っている写真は、きっとない。どんな形であれ、学校から途中で去ってしまった者は、このアルバムに載る資格がないのだ。まるで、はじめから存在しなかったかのように、その姿を消されてしまう。
 学校って、怖い。
 同級生はこのアルバムに違和感を覚えなかったのだろうか。そんなに、温の死は隠さなければいけないようなことだったのだろうか。
「……そうや」
 事はそんなに遠い話ではない、七年前に起こったのだ。当時の先生が、今学校に勤めていてもおかしくはない。俺は急いで、教員紹介のページをさがした。
 すると、教科ごとに分かれている中、英語科の七人の中に一人、白髪の好々爺を見つけた。杉岡先生、一年の時に、俺達の担当の先生が休んだ一週間(確か風邪か何かだった)、代打として登場したおじいさん先生だ。非常勤だけれど、週三日はまだ学校に来ていると勇が言ってた気がする……けれど、あまり接点のある先生ではない。なんだか話しかけづらいな。けれど、見たところ他に知っている先生はいなかった。うちの学校は一斉に先生が入れ替わることはめったにないから、ちょこちょことこの何年かで入れ替わってしまったのだろう。
まずは杉岡先生を探さなければ。
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