少女、紅茶香る
少女、紅茶香る



 たくさんの花々の香りに包まれた温室のベンチ。私の膝の上で、美しい少女が眠っている。すぅすぅ、と静かな寝息をたてて安心しきったその様は、まるで幼い子どものようだ。ここには私と彼女の二人だけしかいない。温室自体が彼女の家の敷地内であるため、邪魔されることもない。


 彼女の病的なまでに真っ白できめ細やかな肌が、私の着ている学生服の生地に擦れて傷ついてしまわないかと少し不安になる。しかしその彼女も、私と同じ女子校の学生服を身に纏っていた。

そっと彼女の頭を撫でる。次に、その腰まで伸びた綺麗なぬれがらすの髪を少量手に取り、自身の唇まで近づけてそっと二つを重ね合わせた。滑らかな髪が、そろりと何本か指の間から零れ落ちる。瞬間、膝元の彼女が薄く瞼を開け、ん…、と小さく声を漏らした。
 

「ごめん。起こしちゃった」
 

「ううん大丈夫。気にしないで」


 彼女の名前は湊 喜沙(みなと きさ)。私と同じ女子校に通う幼馴染だ。喜沙の家はちょっとしたお金持ちで、この温室は喜沙の趣味もあり親がつくらせたもの。ここに並ぶ様々な花たちは、全て喜沙が一から育て上げたものだ。そして私たちは、放課後にいつもこの温室に寄り、思い思いのことをして過ごしていた。
喜沙がゆっくりと体を起こす。そのため、ずっと膝に感じていた温かなぬくもりが消え、代わりにひんやりとした冷たい空気が肌を滑った。
 

「結構眠っちゃった。ごめんね、長い間」


「いいよ。私がそうさせたんだから」


 私たちの通う学校では、丁度今日までが試験となっていた。それにより、喜沙が珍しく徹夜で勉強を行ったと言うため、しばらく眠らせていたのだ。眠らせていた───と言っても、時間的にはほんの二時間弱といったところなのだけど。
 
喜沙がベンチに座ったまま背伸びをする。ふぅ、と息をつくと、その澄みきった瞳はこちらに視線を移した。


「みっちゃん、何か飲む?」


いつものように、喜沙が問いかける。


「じゃあ、いつもの」


“みっちゃん”とは私のことで、私の本当の名前は藤浪 密(ふじなみ みつ)。小さい頃、喜沙が私の名前を呼ぶのになかなか舌が回らなくて“みつちゃん”を“みっちゃん”と言ったことがあだ名の始まりだ。


「わかった、少し待ってて」


 そういうと、喜沙は急いで温室を出て行った。
 しばらくすると、喜沙が嬉しそうにトレ―にティーポット、カップ、ミルクに砂糖、そしてスコーンを二人分乗せて戻ってきた。ベンチ前のテーブルにトレーを置き、慣れた手つきでそれらをテーブルに並べる。その手際のよさ、優雅さから、喜沙がお嬢様であることを毎度のように再認識する。

喜沙がティーポットの蓋を開け、茶腰を取りだし、ポットの中身をスプーンで軽くひと混ぜする。その際にふわりと漂ったベルガモットの香りが、中身が私の大好きなアールグレイの茶葉だということを教えてくれた。香り高い液体が、均一の濃さになるように二つのカップに順々に注がれていく。最後の一滴までしっかりと注いだら、その最後の一滴が落ちた方のカップを喜沙は私の前に置いた。

これは喜沙が教えてくれたことだが、その最後の一滴はベスト・ドロップと言って、紅茶の旨みが凝縮された唯一の一滴なのだそう。喜沙はいつも私にそのベスト・ドロップが入ったカップをくれる。

 
 喜沙の仕事がひと段落すると、どうぞ、と言って私に先に紅茶を飲むように勧めてきた。それに従うようにして、私はまず香りを楽しみ、ミルクも砂糖も入れず一口を口に含んだ。


「おいしい」


「そう、良かった」


 喜沙が口元を緩ませた。私が紅茶を飲んだことを確認すると、やっと喜沙もカップに口をつける。


「おいしい」


 喜沙が私と同じ反応を繰り返した。喜沙の入れてくれる紅茶はいつだって美味しくて、口に合わなかったことなんてない。


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