あなたしか見えないわけじゃない
横浜と都内に住まいが離れてしまうけれど、今度のマンションには1戸に1台分の駐車場が付いていたから、私も車で移動ができて思っていたより不便はないかも。
1人で高速を走るのも悪くない。

……と思ったけど、これは少し違う。
引っ越しまであと4日だった。

「藤野、明日も日勤でしょ。明日の仕事が終わったら、この段ボールの荷物を新しいマンションに運んでおいて」

夜、2人で引っ越しの荷造りをしていたら、彼がデスク横の箱を指差した。

「え。私、明日はICUの送別会だから無理だよ。忘れてた?」
本棚の本やファイルを整理しながら答える。

「いや、明日運んでよ。送別会の後でいいからさ」

あれ?送別会の後で行くってこと?
「飲酒運転になっちゃうから無理よ」
戸惑いながら返事をする。

「だから、飲まなければいいでしょ」

少し苛ついたような彼の言い方に気が付いてファイル整理をする手を止めて彼を見た。

そんな私の様子に更にイライラしたのか
「別に藤野の送別会じゃないんだし」
そう言ってデスク横の段ボールをトントンと叩いた。

「これ、大事だから引っ越し荷物と一緒に運びたくない。俺は明日、大学病院に行かないといけないし、明後日は当直。藤野だって明後日からは研修だよね。明日しか行くときないじゃない」

「明日は無理よ。異動して1番お世話になった先輩の送別会なんだから、1次会だけじゃ帰れないよ」

困るわと言ったら、彼はわかりやすくムッとしていつもより大きな声を出した。

「じゃ、いつ行けるんだよっ」

「引っ越し前日とか当日に別に運んじゃダメなの?」
彼の声に驚いてびくっとしたけど、明日は無理。

「ダメだから言ってる」

言い捨てるようにして、スタスタと洗面所に行ってしまった。

え、どうしてよ。
何なの?
私の都合を聞かない態度にも強制する強引な態度にも驚いた。

今までだってケンカをすることはあったけど、これは意味がわからない。

しばらく待っても彼は洗面所から戻って来ない。
どれだけ怒ってるのよと思っていたら、シャワーの音が聞こえてきた。

頭を冷やしに行ったのかなと思った私は甘かった。
シャワーを浴びて出てくると口もきかずベッドで本を読み始めたのだ。

いくら広くても、この雰囲気。ワンルームはきつい。
無言で不機嫌オーラ満開の彼。
話しかけても無視を貫く彼に対して私は居場所が無い。

本棚の整理を手早く終えて「帰ります」とひと声かけて玄関を出た。
引き止めもしないし追いかけもしない。
もう22時半を軽く過ぎてますけど。

そもそも、私のじゃなくて彼の引っ越し。
当然、荷物も私のじゃない。
私も彼と同様に働いている。
普通に仕事した後で荷物を運ばなきゃいけないのもどうかと思うけど、更に送別会の後で橫浜から都内に1人で運べと?
翌日はあなたと同じで私も朝から仕事なんですけど?
断ったら不機嫌になって無視するなんて意味がわからないわ。

あまりにも腹が立ってバスに乗らずに走って帰った。

彼からは電話もメッセージもない。
夜遅くに女を1人で帰して心配じゃないのか。

彼にとって私はどういう存在何だろう。
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