あなたしか見えないわけじゃない
すぐ近くにある以前2人でよく行ったバーに入った。

この店も懐かしく感じる。
まだ1年やそこらの話なのに、島にはこんなに洒落た店もないし、今の周布先生のようなスーツ姿の男性と2人で出かける事もない。

「話って何でしょう?」
私はノンアルコールカクテルを頼んだ。

「お酒は飲まないの?」

「ええ、最近はほとんど。飲んでも乾杯程度です」

「そう。前はよく一緒に飲んだのに」

「そうですね」

その関係を壊したのはアナタですよ。
あなたが香取先生を選んで私を切り捨てたのでは?
あなたは何が言いたいの。

「周布先生、話があるのなら早くお願いします」
キッパリと言った。

「ああ、すまない」
周布先生は水割りをぐっと飲み込んだ。

「藤野。まず謝りたい」
と私を真っ直ぐ見た。

「あの時、キミを信じなかったこと。キミの話をきちんと聞かなかったこと」

「周布先生、それは」

「待って、まだ聞いて」
私が話そうとするのを遮った。

「あれから自分のマンションに帰って驚いたよ。藤野の荷物が全て無くなっていて、残っていたのは俺への誕生日プレゼントだったしね」

そうだ。
私は自分の荷物を全て運び出し、代わりに数日後に控えた周布先生の誕生日に備えて購入したプレゼントを置いてきていたのだ。

「周布先生の為に買っていたし、私が持っていても仕方ない物だったから。置いていくしかないでしょう?」

私は苦笑する。私がそのまま未練の塊のような元彼の誕生日プレゼントを持っているのもイヤだった。かといって捨ててしまうのもためらわれた。

「話をしたくても、電話もメールにも出ない。仕事も休んでいるっていうし、アパートにもいる様子はないし、車もない。そのうち携帯は繋がらなくなるし、病院も辞めてしまうなんて…探そうにもキミの居場所を早川さんも木村さんも教えてくれない。杉山部長や師長もだ」

私は黙った。
だからって今頃。
あの出来事から退職するまでに2ヶ月あった。
その間に会おうと思えば会えたはずだ。
今さら思い出話をしたかったわけ?私の傷ついた過去をほじくり返して何になるの。

「周布先生はあの時、私じゃなく香取先生を選びました。もう全て終わったことです。会う必要があるとは思えませんけど」

私はイライラして周布先生を睨んだ。

「ごめん、藤野。そんなつもりじゃない。そうじゃない。キミの事信じ切れなかった事も伊織の嘘を信じてしまった事も謝りたい」

「それもこれももう結構です。
私にとってはもう過去の話です。あなたからの謝罪はいりません。
私が欲しかったのはあの時、私のことを『信じる』っていうあなたからのひと言でした。
ですから、今はもう必要ないんです。どうぞ香取先生とお幸せに」

私はバーカウンターの高いスツールから下りた。

「藤野、待って」
慌てたように周布先生は私の腕をつかんだ。
離して、と強く目で告げる。

「俺は藤野が忘れられない。藤野と離れていても藤野の事ばかり考えているんだ。お願いだ。戻って来てくれないか」

周布先生は付き合っている間には見たことがないような表情をしていた。目を軽く細めて真剣な、それでいて瞳の奥には不安な色が浮かび、口をしっかりと結んでいる。

周布先生の表情と予想外の言葉に驚き、つかまれた腕を振り払うこともせず立ちつくす。
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