思い出になんて、負けないよ。
すれ違いと後悔

第五話 すれ違いと後悔

「あ、皆川さん丁度良かった!

担当してもらってる部屋の牧野さん、これからリハビリなんだけど担当の人がいま忙しくて。

悪いんだけど…代わりにリハビリルームまで付き添い、行ってきてもらえる?」

一番避けてきた事態が起こってしまった

主任の板美(いたみ)さんにお願いされては…瑠衣も断れない

「わ、わかりました!」

たたたっと病室へと駆けた瑠衣だったが…

その足取りは、とても重かった

「失礼しまーす…

あ、牧野さん。これからリハビリとお聞きしたんですけど担当の者が今不在で。
代わりに私と行きましょう」

先ほどの今井さんの時とは違い、明らかに作り笑いだった

「…そこの松葉杖、取ってくれる?」

何食わぬ顔で瑠衣がいる後ろを指差す

「…はい」

壁に立て掛けてあった松葉杖を取ろうとした瑠衣

しかしそこへ、後ろから抱きしめたのは郁也だった

「…っ、ちょっと?!」

「…お前、他人行儀過ぎね?

仮にも俺なのに…もう少し優しくしてくれてもいいんじゃねーの」

「…行きますよ」

ふいっとそれを受け流し、先ほどと同じようにエレベーターへと乗る

「…松葉杖、意外と使いにくいのな」

「慣れるまでは歩きづらいと思います」

「…あくまでも、患者と看護師ってわけか」

「先ほどいいアドバイスを先輩から頂いたもので」

今井さんの言葉を思い出し、毅然と振舞った

「…着きました。降りますよ」

エレベーターの延長ボタンを押して先に降りた瑠衣

しかし郁也はなかなか降りてこない

「…早くしてくれませんか」

一刻も早くこの男から離れたかった

だが、現実はなかなか上手くいかない

「…俺疲れちゃったからさ、ちょっとそこで休ませてよ」

郁也はすぐ側にある長椅子に目線を向けた

仕方なく瑠衣もそこへと向かい、郁也が座る

「お前も座ったら、横」

「結構です」

「…釣れねーなぁ」

昔のようにケラケラと笑いながら瑠衣に接する郁也

だけど、

自分の後ろに手をまわしていた瑠衣の手は、ずっと震えていた

「…そろそろいいでしょ。行きますよ」

数分経った頃、瑠衣がリハビリルームへと足を向ける


ーーーーパシッ、


「待って」

「…っ、!」

瑠衣の細い腕を、振りほどけないほど強く握る

「いい加減にしろよ、瑠衣!
なんで俺だけにそんな…昔確かに、俺たちは別れた

だけどそんなに仕事に私情挟んでいいのかよ?!」

郁也は…

とても、辛そうな表情を浮かべて

動揺して動けない瑠衣を自分の方へと引いて抱き寄せる

「…あの時は、悪かった。本当に、悪かったと思ってる」

「…」

「…こんな形でももう一度お前に会えて。俺、嬉しかったんだ」

「……」

震えが止まらない瑠衣の身体に気づく

「瑠衣、俺にまだ少しでも可能性があるなら…

いや、無くてももう一度、お前を取り戻すから」

そう言って、さらに強く瑠衣を抱きしめようとした時

郁也の腕から瑠衣が離れた

「…なにしてんの」

「…あんた誰?」

「ここの医者だけど?…スタッフに手出していいと思ってるわけ?」

「…っ、か…楓くん!」

郁也の力が緩んだ瞬間、瑠衣は咄嗟に離れて楓の胸へと引き込まれた

「あんたさぁ…瑠衣の元彼くん、じゃない?

瑠衣いま忙しいんだから、あんまいじめないであげてよ」

いつもの口調でも無く、

この間見せた真剣な口調でも無く…

明らかに、その声色は怒っていた

「…あんた、瑠衣の何?彼氏?」

怪訝な顔をする郁也に怪しく笑いかける

「だったら…どうする?」

「…っ、」

「なんだ、何も言い返せないの?

ふうん…つまんないね、君」

行こう、瑠衣と瑠衣に自分の白衣を着せてエレベーターの方へと向かう

「ちょっ…待てよ!!」

慌てた郁也が呼び止める

「お前…名前は?」

「…俺?

山本楓。オペ科の天才ドクター、覚えときなよ」

勝ち誇った笑みを残して、楓は瑠衣とエレベーターに乗り込んだ

「…っく、…ひっく……」

「大丈夫?」

エレベーターのドアが閉まった瞬間、堰を切ったように瑠衣が泣き出した

「…怖かったよな、もっと早く見つけてたらこんな怖い思い、しなかったのに」

そう言って、瑠衣の頭を撫でる

「…っ、ちが…っ…ごめ…っ…」

涙が止まらない瑠衣

そっと抱きしめようとした楓の手は…

瑠衣を抱きしめることなく、静かに降ろされた

「…そんな顔じゃしばらく出られないでしょ?
俺が何とかする。大丈夫」

そう言って楓が笑顔を向けた瞬間

更なる事態に巻き込まれる



ーーーーガコンッッ!!!!!



「「…え?」」

楓と瑠衣が大きな揺れで同時に顔を上げた瞬間だった

エレベーター内の照明が落ち、エレベーターが止まってしまった

「…嘘だろ」

「…っ!?」

完全に、閉じ込められてしまった

「と、とりあえず…助けだけでも呼ぶか」

緊急用のボタンを押して助けを呼ぶ

「…にしても、運悪いなぁ今日。

まあそんな日もあるか!」

笑いながら助けに来るまで待とうと楓は座り込む

「…瑠衣、おいで」

あぐらをかいた自分の膝に瑠衣を呼ぶ

「……」

瑠衣も素直にそれに応じ、楓に身体を預ける

「…今日はお互いついてなかった、それだけだ

明日はきっといい事あるよ」

瑠衣の頭をまた撫でながら、笑いかけた

「……」

瑠衣は羽織っていた楓の白衣で顔を隠し、小さく頷いた


「っ、くしゅん!」

「あ、寒い?」

「ぅうん、大丈夫…」

エレベーター内の温度は徐々に下がっており、半袖のナース服一枚だった瑠衣の身体は小さく震えていた

「…瑠衣、強がんなくていいって。

俺とふたりの時だけは、素直で居てほしい」

「楓、くん…」

おいで、と両手を広げた楓に従う瑠衣

郁也とは違う、優しい温もりだった

「…さっきの人、お前の担当になったの?」

「…人が足りない日に偶然あの人がいる病室に入れられちゃって…

もう、会いたく無かったのに…」

思い出してまた震え出す瑠衣の手に自分の手を絡ませる

「大丈夫。俺がいるんだから

…俺、明日から瑠衣たちのフロアにしばらく居るからさ
心配しなくても、絶対守ってやる」

「明日から、って…それじゃあオペ科はどうするの?
楓くんがいないとまわらないんじゃ…!」

「それも大丈夫。
俺以外にも優秀な医者は何人かいるし、なんとかなるよ」

だから心配すんな!と笑顔をみせる

「楓…くん……」

手で口元を覆い、静かに涙を流す

「瑠衣…」



楓が来てくれたこと、本当に嬉しかった。

あの時もし楓が来てくれなかったら…

今頃どうなっていたか、想像したくも無かった

「あ、りが…と…」

「…瑠衣、」


不意に、真剣な顔つきになった楓

そして涙を拭いていた瑠衣の腕をとる

…そのまま壁際に瑠衣を押し付け、左手で瑠衣の目元を覆った

「か、えで…くん…?」


次に瑠衣に触れたのは…



「ごめん」


瑠衣の唇に、熱を帯びた楓の唇が重なった


「…お待たせしました!大丈夫でしたか?!」

あれからどのくらい時間が過ぎただろう

泣き疲れた瑠衣は楓に持たれるようにしてそのまま眠りについていた

「大丈夫です。ありがとうございます」

楓が瑠衣を抱えてエレベーターから出てくる

「念のためメンテナンスを行うのでしばらくはこのエレベーター、使用出来なくなりますので…」

エレベーターの外で院長と業者が話をしていた

「瑠衣!楓くん!

…もう、心配したんだから!!」

千尋が心配そうに駆け寄ってくる

「大丈夫か、楓」

千尋の後ろから英治も駆けてきた

「うん、大丈夫。

…瑠衣、ちょっと色々あって疲れちゃったみたいだから悪いんだけど神崎ちゃん、送っていってもらえる?」

「…え、だったら楓くんの方が…」

言いかけた千尋の後ろにいた英治にアイコンタクトをとる楓

「…千尋、とりあえず任せた」

「え、」

そう言って千尋に瑠衣を預けると、ふたりはどこかへ行ってしまった

「…え、嘘ほんとに?!」

やっと状況を飲み込んだ千尋は慌てて瑠衣を休憩室へと連れて行った


「…で?あんな状況で千尋に皆川を任せたってことは何かやらかしたのか」

夜の風が気持ちいい屋上で、ふたりは話し始めた

「やらかした、所の話じゃないよ…
僕とんでもない事しちゃったんだ…」

珍しく弱気な楓はフェンスにもたれ、空を仰ぐ

「…皆川に手でも出したか?」

冗談半分に言ったつもりだった

楓のそんな姿が珍しくて、少し茶化そうと英治は言った

ところが思っていた反応は返ってこなかった

「…っ、!!」

耳まで顔を赤くした楓は口元を手で覆う

「…っ、!!ちょっと待て楓!

お前まさか、皆川に…!!」

驚いて声を上げた英治に背を向け、楓はしゃがみこむ

「…キス、した」

とんでもない発言を暴露した楓

静まり返った空気に耐えられなくなり、いきなり立ち上がったかと思ったら今度は大きく息を吸い込む

「ばっかやろーーーーー!!!!」

ありったけの声で、そう叫んだ

「…ばかはお前だろ。

何でまだ付き合ってもないのに手を出した」

ごもっともな意見に楓の心にぐさりと矢が突き刺さる

「…瑠衣、いまあいつの元彼がいる病室に担当任されてて。

執拗に瑠衣に触れてるの見て我慢出来なくなって……最低だよ、俺」

頭をくしゃくしゃと掻きむしり、下を向く楓

「…で、その直後にエレベーターに閉じ込められてキスしちまったって訳か」

「…」

小さくうん、と頷いた楓を見て、英治は大きくため息をつく

「…お前、昨日の事はほんとに何も覚えてないのか」

「昨日?…あぁ、僕が熱出した時。

うん、何も覚えてないけど…何かあったの」

英治はきまりの悪そうな顔をして、重たい口を開く

「…昨日のお前、千尋から聞いた話だけど全部話してやるよ」

「…え?」


ひととおり英治が昨日の事を楓に話終えると。

楓は今までにないほど動揺し、顔を真っ赤にして膝から崩れ落ちた

「…っあ、…俺……俺が…?!」

「もう、いいんじゃないか」

白衣に手を突っ込んだままの英治が可笑しそうに笑う

「…何がだよ」

睨みつけるように英治を見上げる

「お前の気持ち、皆川にちゃんと伝えてやれよ

…最も、もう伝わってるだろうがな」

頑張れよ、と楓の肩にポンと手を置き、英治は去った

「…瑠衣……」

駐車場に瑠衣を肩にかけて出てきた千尋を見つけ、二人が乗った車が遠くなるまで見つめた

「…俺も、頑張らなくちゃだよな」

ポツリと楓は呟いた

「……」

重たいドアの向こうに、目つきを鋭くした郁也が居たことに気付かなかった
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