「先生、愛してる」


「先生、昨日はごめんなさい」


会えば真っ先に言おうと思っていた。もしや嫌われてしまったのではと思いながら訪れたため、そのときの声は震えていた。緊張で握った手に、爪がくい込んでいく感触がする。


落とした本を拾い、先生はこちらへ向かってくる。


「そんなことはどうでもいい。その姿はどうした」


「雨に濡れて」


「外は昨夜から大雨だ、見ればわかる。そうじゃなくて、根本の問題を聞いてるんだ」


ともかく掛けなさい、と先生は司書にしか出入りのできないという書庫に私を案内した。この姿を誰かに見られないようにするための、先生なりの気遣いでもあるのだろう。


部屋の奥には机が一つ、その間を挟むように椅子が二脚置いてある。先生に促され、そこに腰掛けた。先生は、少し待っててと行って部屋から出ていく。すぐに戻ってくると、私に真っ白なタオルを一枚渡した。


「僕のものだけど、今日は一度も使ってないから綺麗だよ。それでよければ体を拭きなさい」


「ありがとう、ございます…」


ふわりと香る柔軟剤の匂いが、自身の心を和らげる。それは私のよく知っている、先生の匂いと同じだった。


「怒っていないんですか?」


「怒る?どうして」


先生も向かいに腰掛ける。


「昨日、岸田君と帰ってしまったから」


視線をそらして私は言った。不安な時はいつも人の顔が見られない。


「仕方の無いことだっただろう。僕が腹を立てているとすれば秋奈じゃなくて、彼に対してだろうね」


頰杖をつきながら、先生は言う。
けれどその言葉は、あくまで"仮定"として述べられた。


「彼に、腹を立てているのですか?」


気になって問うた。もしそうだったとするならば、つまりその感情は、彼に対する嫉妬ということになる。若干の胸の高鳴りを感じながら、先生のことを見つめた。


「さぁ、どうだろうね?」


先生は意地悪に笑った。
やはり先生に隙はない。これ以上聞くのは無駄だろうと悟った。


「僕が君に対して抱く感情は今も昔も変わっていない。そこは安心していいよ」

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